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- 2017/03/14 掲載
怖い町? 人情の町?「あいりん地区」のリアルとは 白波瀬達也氏インタビュー
『貧困と地域』著者
歴史とともにあったあいりん地区
──あいりん地区は釜ヶ崎とも呼ばれますが、両者の違いはなんでしょうか? タイトルには「あいりん地区」が使われていますよね。基本的に同じ場所を指しているのですが、「釜ヶ崎」は昔の地名であり、今は西成区北東部の簡易宿泊所が集中する場所のことをアバウトに指す名称です。「あいりん地区」も同様の地域を指すのですが、度重なる暴動への対応をきっかけに1966年に行政が明確に区域を設定しています。この本では行政が貧困問題にどう向き合ってきたのか、詳しく描きたかったので、「あいりん地区」という地名を使いました。
──あいりん地区には、ドヤ街(宿をひっくり返した俗称)のイメージがあったのですが、『貧困と地域』を読んで、時代とともに町の様子が変わってきたことに驚きました。
白波瀬氏:あいりん地区は、日本の社会状況に大きく影響され続けてきた町でもあります。ご指摘の通り、あいりん地区と言えば男性ばかりが暮らす「日雇労働者の町」「ドヤ街」のイメージをもっている人が多いと思いますが、1960年代の中頃まで、男女の人口比がそれほど変わない町で、研究者たちはスラムとみなしていました。
──スラムとドヤ街は違うのでしょうか。
白波瀬氏:社会学者の大橋薫の分析によれば、スラムとドヤ街には貧困が共通しているが、社会関係や住まいなどに違いが見られるのです。スラムの住民は家族もちが多く、住居と職業、収入が固定しており、人間関係が緊密。一方、ドヤ街は単身世帯が多く、住居と職業、収入が流動的かつ臨時的で、人間関係が希薄。随分昔の研究ですが、このように特徴の違いが述べられています。
表1■スラムとドヤ街の違い | ||
スラム | ドヤ街 | |
家族関係 | 家庭的 | 個人的 |
住居関係 | 恒久的 | 一時的 |
職業関係 | 固定的 | 流動的 |
収入関係 | 固定的低所得 | 臨時的低所得 |
消費関係 | 低い消費 | 高い消費 |
人間関係 | 緊密的 | 匿名的 |
思想関係 | 保守的 | 自由的 |
当時の釜ヶ崎の様子をうたった三音英次の「釜ケ崎人情」の歌詞にも、この地がスラムといわれていることが出てきています。高度経済成長期以前は、日雇労働者を相手にした町、ドヤ街、歓楽街、長屋、商店街などがひしめき合っていました。ドヤが多く集まりつつ、スラムの性格ももった町であったと言われています。
しかし、1960年代後半から様子が変わっていきました。1961年に労働者に対する警察の不適切な対応がきっかけとなり「第一次釜ヶ崎暴動」が起こります。その後何度も暴動が繰り返され、1966年の第五次暴動ではパチンコ店や交番に2000人が放火や投石を行います。この暴動をきっかけに、大阪市・大阪府・大阪府警から構成された「愛隣対策三者連絡協議会」が設置され、「釜ヶ崎」は「あいりん地区」(愛隣地区)に改称することになりました。
当時は、1970年の大阪万博に向け、労働者の需要が高まっていた時期でもありました。そこで行政は住所不定者への支援を手厚くするために「あいりん総合センター」や「大阪市立更生相談所」を設立し、日雇労働者の安定的な供給を目指します。各地の失業者を吸収し、労働市場に再参入させる仕組みでした。その一方で、行政による住宅政策や頻発する暴動により家族世帯は地区外に流出していきました。
そして、バブルが崩壊すると求人が減少し、野宿生活を余儀なくされる人々が町に溢れます。その結果、行政・民間が様々な対策を行い、住民の多くは生活保護を受給しながら地域に定住するようになっていきました。あいりん地区は深刻な高齢化に直面しており、日雇労働者が集まる場所としての機能はどんどん小さくなっています。
あいりん地区は怖い町? 人情の町?
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