連載:中国への架け橋 from BillionBeats
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トルコのリラ急落や米中貿易戦争により、世界、そしてアジア経済に大きな影響がおよぶことが想定される。そんな暗雲立ち込める今こそ思い出したいのが、「アジア版IMF(国際通貨基金)」の存在である。本稿ではあまり報道されてこなかった「アジア版IMF」誕生の背景とプロセス、そして、今後どのような役割を果たしていくのかレポートする。
世界経済に危機迫る今、「アジア版IMF」が支えに
2018年8月、米トランプ政権がトルコに対する経済制裁を発表した影響でトルコの通貨リラが急落した。現在、その余波でインドなど新興国の通貨安が加速中だ。すでに、アルゼンチンは国際通貨基金(IMF)に追加支援を求めている。
また、トランプ大統領が発動した米中貿易戦争は激化の一途である。これらの影響がアジアの広い範囲におよぶことは必至だ。世界経済に再び暗雲が漂い始めた。だが、我々が存在を忘れかけている 「アジア版IMF」がアジア諸国にとって心強い存在となりうる可能性が、実はある。
その「アジア版IMF」誕生でキーとなるのが、AMRO――ASEAN+3 Macroeconomic Research Office(ASEAN+3(日中韓)マクロ経済調査事務局)。アジア金融危機(1997年タイの通貨バーツの暴落を引き金に起こった通貨危機)を反省する過程で生まれた国際機関である。
アジア金融危機の副産物、AMRO
AMRO設立の経緯をたどると1997年のアジア金融危機発生時にさかのぼる。当時、日本はIMFを補完する機関として、豪、中、香港、インドネシア、日、韓、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイで構成されるアジア通貨基金(AMF)を立ち上げようとした。
アメリカは早くから日本側のこの動きを察知していた。1997年9月14日深夜、「ミスター円」こと榊原英資財務官(当時)は、自国の影響力が弱まることを憂えた米国のサマーズ財務長官から電話で「友達だと思っていたのに」と激怒された(長年の交流の中でサマーズ氏からこれほどまでの怒りを買ったことはなかったと榊原氏は後に回想している)。米国以外にも中国が慎重姿勢を示したことから、結局日本の提案は頓挫した。
だが、2000年にASEAN+3 の財相が合意して通貨スワップネットワーク(CMI:チェンマイ・イニシアティブ)を創設。さらに2008年のリーマンショックを受け2009年2月、ASEAN+3財相会談でメンバー国は
(1)独立した地域経済の監視機関の設立、
(2)CMIを多国間へ拡大させること(いわゆるマルチ化、CMIM)を決定。翌年3月には、8国間、16組の通貨スワップ取り極めを1本にまとめ、当局間の意思決定手続きを共通化した。
主導権を巡り日中が対立
そうした流れの中で、地域経済の監視機関として2011年、AMROが誕生したのである。当時はわずか4人だったスタッフは、現在50人以上に増えた。しかし、3000人近いスタッフを擁するIMFとは規模はまだ比べ物にならない。
どの国際金融機関も国際政治とは無縁ではいられない。AMROも例外ではなく、設立準備が進められていた2010年、主導権をめぐって日中が対立した。CMIの資金枠拡大に伴って生じた1200億ドルの負担額のうち、日本が32%の384億ドルを供出し、香港を含む中国も同額を負担することで同意。日本側は日本人が同所長に選出されることを期待したが、中国がこの人事に反対した。
結局、中国国家外貨管理局で副局長を務めたことがある魏本華(ウェイ・ベンホワ)氏が1年限定で初代所長を務め、1期目の残り2年を日本の財務省参事官で国際金融経験が豊富な根本洋一氏が引き継ぐことで両国が合意。2018年10月現在は中国財務部出身の常軍紅(チャン・ジュンホン)氏が3代目所長を務めている。
このAMROが持つ監視機能と、役割を発展させてきたCMIの通貨スワップについての取極が合わさることで、当初目指した“幻”の「アジア版IMF」に近づくこととなる。
【次ページ】前進するAMROだが資金に弱み、中国も消極姿勢
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