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- 2019/04/27 掲載
【休日に観よう】「ビジネスに役立つ」映画7選

仁義なき戦い
ビジネスには競争相手が必要だ。それは同業他社かもしれないし、もしかしたら社内の誰かかもしれない。社員同士で競えば全体としてよりよい成績を残せるはずだ。
だが、もしその競争があまりに苛烈でつらいものだとしたらどうだろうか。お互いが高め合うための競争は、いつしか本来の目的から道を外れて独占へと向かっていく。競争が熾烈になればなるほど、目指すべきものからかけ離れていくという矛盾を徹底的に描き切ったのが、日本の暴力映画の傑作『仁義なき戦い』である。
敗戦直後の広島を舞台に、菅原文太演じる主人公の広能や松方弘樹演じる坂井が、ヤクザの山守組の幹部として組を盛り立てていく。たしかに能力に優れ頼れる彼らは、組織を強靱なものとしていくだろう。しかし彼らは道を誤った人たちでもある。
その誤りとはヤクザになったことではなく、内部抗争で仲間を蹴落としてきたことだ。自らが手を下しておいて、後で故人を惜しむという相いれない感情に見舞われる彼らは、すでに競争という名の迷路に陥ってしまっている。こうして生じる宛のない怒りが映画に緊張感をもたらし続け、競争はさらに熾烈になる。広能らの到達すべき目的は、一体どこにあったのか。仲間同士で殺しあうために山守組を結成したわけではないと彼らが気づくころには、あまりにも多くの仲間を失ってしまっていた。
もちろん、ヤクザと普通の企業はまったく異なる。だが、組織の上下関係に束縛されがちな点は似ているかもしれない。この映画は、関係性を断ち切るための刀による一閃というよりも、やけくその銃弾を発射し続ける。その銃弾は決して真の目的に着弾することなく、虚しく乾いた発砲音の響きだけが、上下関係や恩義に惑わされて目標や目的を見失ってはいけないことを反面教師的に教えてくれる。
山守組組長が子分に引き受けがたい仕事を頼むときの見事な泣きの演技は、決して騙されないために一度は見てみることをオススメする。
ウルフ・オブ・ウォールストリート
今、目の前に1本のペンがある。さて、ではそのペンを「今すぐ私に売ってみろ」と言われたらあなたはどのようにそのペンを売り込むだろう?
名匠マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオが五度目のタッグを組んだ本作は、無一文からウォール街のウルフと呼ばれるまでに成り上がった株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの半生を描いている。
ウォール街に憧れた青年は投資銀行で働き出すも、証券外務員資格を取得したその日にブラックマンデーに見舞われてしまう。野心はあるがドラッグも知らないピュアだった青年は、成り上がるためにほとんど客を騙すようにクズ株を言葉巧みに売り続け、いつかしウォール街にもその名を轟かすようになっていく。
ドラッグとパーティ漬けの生活、証券詐欺に資金洗浄と真っ黒なビジネス界の狂気と絢爛は、そのエネルギッシュさについつい目がくらみ、何か常軌を逸した巨大で複雑な秘密があるように見えるかもしれないが、まさにそう思わせることこそがスコセッシとディカプリオ、あるいはジョーダン・ベルフォートの詐術だ。“なんだかすごい”と思わせることが一番大事なことなのだから。映画をよく見てみると、派手な演出とは裏腹に、仕事といえばひたすら電話をかけ続ける、この一点なのだ。
電話をかけるという、たったそれだけで成り上がったジョーダン・ベルフォートのように、この映画は最初から最後まで極めて単純で、かつそれゆえに本質的な原理で動いている。それはつまり目の前の1本をペンをどうようにして売るか、だ。ペンがどれほど優れていようが書きやすかろうが、ビジネスの本質とは関係ない。ペンの素晴らしさとは関係なく動き、増殖していく現代ビジネス環境。良くも悪くもそんな世界のただ中で、地位と名誉に目がくらんだ男と一緒に、真っ黒な大金の海にどっぷりと溺れてみるのも一興かもしれない。
さて、あなたはペンをどう売りますか?
アイアンマン
マーベル作品が映画界を席巻し、数多くの実写マーベル映画が世に作られている昨今。マーベル・コミック『アイアンマン』の実写映画化作品の第1作目かつ、おのおののマーベル作品が同一の世界観を共有する『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズの第1作がこちらである。
ヒーローものであるにもかかわらず、映画の実に半分以上が、主人公であるトニー・スタークが社長を務める巨大軍需産業「スターク・インダストリーズ」の経営方針の変化に注力されていることが興味深い。
軍需製品によって多額の利益をあげている彼は、さまざまな慈善事業に寄付をし、兵器によって世界を混乱から救おうとしている人物である。しかし自社製品によって数多くの人命が失われていることを目の当たりにしたトニー・スタークは、兵器屋からの撤退を記者会見で宣言し、会社の方針を180度変えようとする。
彼の勝手な方針転換をNO.2のオビーが「撃ってから狙うな」とスターク・インダストリーズの社訓のような言葉で諭す場面や、兵器開発をやめ、自らが一種の兵器となるアイアンマンを作り上げた際に「時には歩くことよりも走ることが必要なんだ」とこれまた経営理念に通ずる言葉を発するなど、映画の転機がスターク・インダストリーズの方針転換と重ね合わされて描かれているのは実に特徴的である。
極め付けはトニー・スタークがまさに文字通りに、自らの心(臓)を熱プラズマ反応炉「アーク・リアクター」という新しいものに取って替えている点だ。「撃ってから狙うな」、「時には歩くことよりも走ることが必要なんだ」等々の言葉で表される理念よりも、まずトニー・スタークのように本当に心を変えることが、何よりも胸を打つ場面を作り上げている。秘書であるペッパー・ポッツが社長の心を取り替えるグロテスクでありながらも実に美しい場面はぜひ見ていただきたい。
また、ペッパーがハイヒールを履きながらも姿勢を崩さず華麗なダッシュを魅せるのも、さすが一流企業の秘書を務めるだけあると惚れ惚れするスタイリッシュさである。
ソーシャル・ネットワーク
アメリカのヒットメーカー、デヴィッド・フィンチャー監督によって描かれたフェイスブックの創設者マーク・ザッカーバーグをめぐる物語は、華々しい功績とは裏腹にどこまでも晴れない陰りが全編を覆っている。
その陰りの正体は、親友で共同創設者のエドゥアルド・サベリンとの確執と不当な足切り、そして同じくハーバード大学のウィンクルボス兄弟が「フェイスブックの元ネタを盗まれた」として訴訟を起こす顛末を描くという映画の構成に起因していることは明らかだ。しかしそこには、ビジネスを制するための抜け駆け、裏切りといった悪意とは別のことわりがある。
この映画が焦点を当てるのは、裏切りでもなく、一人の天才による相いれなさでもなく、ひとえに「クール」(あるいは「ジェントル」)であることについてだ。それこそが晴れやかでもなく、かといってダーティーさに突き抜けることもない、煮え切らない陰りを本作に落としているのだろう。
エドゥアルドはフェイスブックによって収益をあげるため、広告収入を得ようとザッカーバーグを説得しようとするが、彼は広告は「クールじゃない」と応じない。ナップスターの設立者であり、フェイスブックの初代CEOを務めたショーン・パーカーも、「広告はまだ早い。11時にお開きになるパーティーはクールじゃない」とザッカーバーグと意見を同じくする。
しかしそんなショーン・パーカーの「クール」は、結局は女子大生とパーティーでドラッグをキメることで、終盤には姿を消すことになる。当初は「ジェントルマンのすることじゃない」と思いとどまっていたウィンクルボス兄弟も、最終的には訴訟を起こすことになる。
ぶつぶつと早口でしゃべろうが、いつもパーカーを着ていようが、サッカーバーグはどこまでも「クール」であろうとした作中唯一の人物だ。その徹底した行動原理を貫き通すことは、結果としてビジネス界を制することになる。フェイスブックは時価総額250億ドル(映画製作時当時)までになり、彼は世界最年少の億万長者となった。
【次ページ】超一流の仕事を見るために、80年前、1940年の傑作はいかが?
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