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- 2021/11/17 掲載
「GDP」「偏差値」は意味がない? 人生100年時代に必要な“指標の考え方”とは
山口揚平氏×山口周氏対談:
前編はこちら(この記事は後編です)
中国が「GDP伸長レース」から離脱した理由
山口 周氏(以下、周氏):高原主義とは、哲学の認識論の話です。たとえば、「経済が成長しない」とネガティブな語られ方をするのに対して、「経済成長というタスクが完了した」という言い方に換えると、ポジティブな解釈になりますよね。
日本のGDPはここ10年でほとんど成長していません。ただ、GDPを成長させる方法は非常に簡単です。1つは「戦争を起こす」こと、もう1つは「自然災害などの大規模な危機からの復興」だと思います。
大規模な危機は人工的には起こせませんが、一度戦争が起きると経済が活性化されるのは理解できるでしょう。要するにある種の「破壊」が必要になるんです。破壊の対義語は「完成」で、完成状態になるとGDPは上がらなくなる。
日本は、経済と複利とテクノロジーの力を使って「安全・快適・便利」という3つの文明価値のコンプリートを、世界で最初に実現した国です。そのため、いまだに「経済成長を実現したい」と言える立場にあります。経済成長やGDPの伸長を掲げている自体が、もう時代遅れでビハインドを持った国になっていると考えています。
先日、中国政府が発表した5カ年計画では、GDPの目標が掲げられていません。中国ではGDPを外して、成長をもう目指さないという姿勢を打ち出しています。政治的、特に外交面での配慮はあると思いますが、中国が持っていた「人口ボーナス」(総人口に占める生産年齢人口の割合が上昇し、労働力が豊富な状態となることで経済成長が促進されること)が今後はなくなると考えられ、高いGDPの成長率を維持できなくなります。
また、中国では日本よりも「格差」の問題が深刻化しています。その解決をしなければなりません。GDPは米国が世界に押し付けた物差しなので、指標そのものが米国が一番に燃えるようにデザインされているわけです。なので、その物差しを受け入れることは、まさにその支配下に入るということだと思います。ローマ帝国に入るんだから、ローマの度量衡を使え、貨幣を使え、となるわけですね。
世界中の国がGDPを軸とするレースに挑んでいることは、暗に米国のゲームに絡め取られていると思います。中国が最初にGDPを国の政策目標から外すことを発表したので、「政治センスがいい」と思いましたね。
日本もGDPは伸びていないのだから、野村(克也)監督じゃないけど「何年かやってできなかったら、やり方を変えてみること」と言いたくなります。でも、なぜか皆、GDPという指標が好きですよね。
自己解放を実現できるかを測れる社会の仕組みが求められている
個々人の幸せをどう測るのか、あえて数値化するなら血液検査や脳内物質の分泌バランスをみていくことになるかもしれません。そうした意味では、ヘルステックが進展してウエルネス (Wellness:健康観) 、ハピネス(幸福度)などを測り、それをGDPなどの指標と関連付けていくような取り組みが出てきてもいいのではと思います。
周氏:僕は、ファンダメンタルな要件が重要だと思います。たとえば、マクロ経済の指標の1つである「ジニ係数」(所得格差の指標)や格差の度合い、1人当たりGDPなどは当然みる必要があります。
ただ、1人当たりGDPについては、大きな変化が起きるとは考えにくいですね。なので、ジニ係数が増えて格差が拡大することを解決する必要があると思います。
現在の日本は、仕事に対するエンゲージメントのレベルがすごく低い。たとえば、ギャラップなど複数の調査結果にも表されていますが、日本では「仕事が面白い」と思って働いている人がすごく少ない。「自分が天職だと思ってやっている仕事に就いている人がわずか」となると、社会が閉塞するのは当たり前だと思うんです。結果的にGDPも伸びることはありません。
【次ページ】「偏差値」「GDP」以外の指標をどのように考えるべきなのか
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