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  • 2026/03/10 掲載

ひねくれ者? 映画監督・手塚眞のリアル、創作論を育んだ「あの映画館・あの作品」

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“マンガとアニメの父”である手塚治虫の息子でありながら、独自の道を歩み、映画監督としてキャリアを築いてきた手塚眞氏。どんな少年時代を送り、どんな映画館に通い、どんな作品に衝撃を受けてきたのか。そして、自らを「ひねくれ者」と称する彼はいかにして“ヴィジュアリスト”になったのか。偉大な父の背中を見ながらも、あえて王道を外れてきた軌跡とは。手塚眞氏本人へのインタビューを通して、その映画監督が誕生するまでの歩みをひもとく。
聞き手・執筆:エンタメ社会学者 中山 淳雄

エンタメ社会学者 中山 淳雄

東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在し、日本コンテンツ(カードゲーム、アニメ、ゲーム、プロレス、音楽、イベント)の海外展開を担当する。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、シンガポール南洋工科大学非常勤講師も歴任。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。『推しエコノミー「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)、『オタク経済圏創世記』(日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書)など著書多数。

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ヴィジュアリスト
手塚眞氏
高校時代から映画制作を始める。長編映画や短編、実験映像、テレビ番組、アニメ、MV、CGなど幅広い映像作品を手がける“ヴィジュアリスト”。1985年に『星くず兄弟の伝説』で商業映画監督デビュー。1999年発表の『白痴』はヴェネチア国際映画祭などで高く評価される。主な作品に『ブラックキス』(2004年)、『ばるぼら』(2019年)ほか多数。
※手塚治虫/手塚プロダクションの「塚」は、正しい表記は旧字体となります。

映画監督を目指すことになった「キッカケの作品」

──偉大なマンガ家として成功された父親の姿に見て、幼少期の眞さんは、将来何になろうと考えていたのでしょうか?

手塚眞(以下、手塚)氏:小学校2~3年生とまだ小さいうちは、父のように「作家になろう」と思ってましたね。ただ徐々に年を重ねるにつれて映画を観るようになり、中学・高校の頃からは映画監督の道を考えるようになっていました。

 僕が子供の頃はテレビで毎日のように洋画劇場がやっていましたしね。だいたい父と一緒にリビングで観るので、映画の内容は大人のものが多かったですかね。その点で言えば、僕は早熟だったのかもしれません。

──これほど功績を残された方の息子さん、ということでプレッシャーを感じることもあったのでしょうか?

手塚氏:よく聞かれる質問なんですけど……正直あまり気にしたことがないんですよね。とはいえ、父がマンガとアニメという、エンタメの“ど真ん中”で功績を残してきた人なので、「そこは自分の触れるところじゃないな」と意識することはありました。そうしたことから、僕が作ってきた作品はいつも辺境、サブカルばっかりなんですよ(笑)。

──眞さんのお話を伺っていると、映画監督として色々実績を残されていながらも、どこかひょうひょうとしているように感じます。

手塚氏:その点は、たしかに父と大きく違うところですね。父という存在は「マンガ家になろう」「人に楽しんでもらおう」と思い続けた結果であるのに対して、僕は「映画監督」にそこまでの強い思い入れがあったわけじゃないんです。

 創っても創ってもうまくいかない、いまだに試行錯誤を続けている感覚があるのですが、作品をコンクールに出すと入選してしまう。不思議だなあと思いながらトントン拍子で、ここまで来てしまったところがあります。

 アマチュアではなく、プロの映画監督になろうと初めて本気で思い始めたのは、中学生に上がった頃、ちょうどスピルバーグ監督の『ジョーズ』(1975年)を観た時です。

 あの作品には打ちのめされましたね。その衝撃で初めてメイキングの本を買って読んで映画監督になろうと思ったわけです。

 ただ当時だと、映画の撮影技術に詳しい人が、今ほど身の回りにいるわけじゃないのですよ。機材も高価で、普通の人間が映画監督を目指すことはできなかった。

 それなので、中学時代は、映画に近いジャンルということで、写真部に所属していました。

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若き頃に父と観た『スター・ウォーズ』、2人の評価とは…?

──治虫さんと眞さんが一緒にロサンゼルスに渡航して映画を観に行ったことがある、という話をお聞きしたことがあります。

手塚氏:そうなんですよ、それは中学生の時の話ですね。父が『スター・ウォーズ』(1977年)に関する記事の執筆を頼まれてね、まだ日本では『スター・ウォーズ』は上映されていなかったので、現地に行かなければ映画の記事は書けないわけです。

 そこで、「仕事でハリウッドに行くけど、眞、お前もくるか?」と誘ってくれたんです。僕もあんまりおねだりをするほうじゃないのですが、『ジョーズ』に感動していた時期だったから「絶対にいきたい」と。

 そうして、日本ではほとんど情報がなかった時代に、有名なChinese Theaterでチケットを取って父と2人で観ました。『スター・ウォーズ』を観終わってから、せっかくならもう1本観よう、ということで当時日本ではまだまったく情報がなかった『未知との遭遇』(1977年)も観たんです。

 観終わってから「どっちが面白かった?」と聞かれ、自分には『未知との遭遇』のほうが面白く感じて、特に前半が良かったと答えたら、「そうか、俺もだ」とね。

 あれだけSF作品を描いてきた父にとって『スター・ウォーズ』は、「こんなのずっと前に自分がマンガで描いたような内容だよ」という感じなのでしょう、作りも古めかしいように思えたようでした。

若き才能・手塚眞を「発見した」、あの映画監督とは…?

──そうした経験があって、高校で映画サークルに入るのですね。

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