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- 2026/07/29 07:10 掲載
『キャンディ・キャンディ』いがらしゆみこが明かす、漫画家デビューまでの全プロセス
漫画家・いがらしゆみこ氏が出会ってきた「作品」のすべて
東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在し、日本コンテンツ(カードゲーム、アニメ、ゲーム、プロレス、音楽、イベント)の海外展開を担当する。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、シンガポール南洋工科大学非常勤講師も歴任。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。『推しエコノミー「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)、『オタク経済圏創世記』(日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書)など著書多数。
いがらしゆみこが幼少期に触れた「漫画作品」は何だった?
──いがらし先生はずっと北海道在住ですか?いがらしゆみこ(以下、いがらし)氏:国鉄に勤めていた父に連れられて、各地を転々としていた子ども時代でした。旭川で生まれて、小学校で札幌や帯広、中学校で室蘭、高校からはまた札幌に戻って…と3年ごとに転勤するんですよ。
──もともと、ご家族で作家さんがいたりなど、クリエイターとしての才能があるご家系だったのでしょうか?
いがらし氏:母は竹久夢二が好きで、模写した絵が残っていたりしました。そういうこともあって、私が漫画家を目指すことを応援してくれましたね。絵本でも漫画でも、欲しいと言えば何でも買ってくれました。
母方の従姉は油絵が得意で美術の先生になりましたし、伯父はペン画がとても上手でした。
──いつ頃から漫画を読んでいたのですか?
いがらし氏:物心ついたときから漫画と一緒で、よく覚えているのは水野英子先生の『星のたてごと』(1960~1961年)が大好きだったということです。
水野先生が『別冊マーガレット』(集英社、1963年~)で連載していた『白いトロイカ』(1964年~)も好きでした。
幼稚園の頃からそんなふうにずっと絵を描いていて、小学校の休み時間に絵を描いていると、周りに友達が集まってくることもありました。「絵、上手!」と褒められるのがうれしくて、その気になり、みんなに喜んでもらおうと、当時、家にあったお姫さまみたいなフランス人形の絵などもよく描いていました。
──やはり、当時から少女漫画が好きでしたか?
いがらし氏:そうですね。『少女』(光文社、1949~1963年)、『少女クラブ』(講談社、1923~1962)、『少女ブック』(講談社、1951~1963)などの少女漫画は一通り読んでいました。
でも、ジャンルはオールラウンドで、少女漫画に限らず、何でも読んでいましたよ。たとえば、『赤胴鈴之助』(武内つなよし、1954~1960年)や『矢車剣之助』(堀江卓、1957年~)、『イガグリくん』(有川旭一、1952~1960年)といった少年漫画も読んでいました。国鉄の宿舎に住んでいたので、いろいろな子どもたちと『冒険王』(秋田書店、1949~1980年)や『ぼくら』(講談社、1954~1969年)などを交換しながら楽しんでいました。当時は、むしろ少年漫画のほうが好きだったくらいです。
中学校に入ると、札幌の自宅が下宿屋を営んでいたこともあって、大学生のお兄さんたちが週に1度まとめて捨てる雑誌を、暗がりで拾ってきては、こっそり読んでいました。
『漫画アクション』(双葉社、1967~2003年)には、当時の私にはかなり刺激の強い、いわゆる“大人向け”の作品が載っていて、「これはすごい……!」とドキドキしながら、どこか背徳感を覚えつつ、読んでいたんです(笑)。なんというか、「ちょっと犯罪の匂いがするな」と感じたりもしていました。
漫画をどう学んだ?『週刊マーガレット』の通信漫画教室とは
──絵を学んだことはあるのですか?いがらし氏:ほとんどありません。基本的には自己流です。中学2年生のときに『週刊マーガレット』通信漫画教室の広告が載っているのを見つけました。
申し込むと、「ペン軸」や「ペン先」、「定規」などが入った道具セットが送られてきて、そこから6カ月間、課題に取り組んでいくプログラムになっていました。なんと、本当にプロの漫画家が添削してくれるんですよ。ビックリでしょ?
添削してくれていたのは、当時『少女フレンド』(講談社、1962年~)で『ふりそで剣士』(原作・梶原一騎)を描いていた東浦美津夫先生(1930~2012年)でした。「1コマで〇〇を描きなさい」といった課題に対して作品を送り、それに丁寧な添削が返ってくるのがとても嬉しく、いつも感激していました。
この通信講座のほかにも、室蘭の中学校では担任の先生が漫画同好会を作ってくれたので、その同好会の中で自由気ままに描いていましたね。
──鈴木光明さんが続けてきた新人育成のシステム(注1)と関係ありますかね?
いがらし氏:いいえ、私は関係ありません。でも光明先生が審査を担当されていた『別冊マーガレット』の漫画賞は、本当にすごかったですよ。
光明先生の主宰する三日月会は私も見学に行ったんですが、『スケバン刑事』(白泉社、1976年~)の和田慎二先生(1950年~、『キャベツ畑でつまずいて』の中で日本で最初に「ロリータ・コンプレックス」という言葉を使ったと言われる)も同い年で、その会に来ていましたね。
「光明先生の絵、大好きなんです!」と伝えたところ、なんと絵を2枚もいただいてしまって、とてもうれしかったですね。
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