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  • 【田中理恵子氏インタビュー】“社会問題先進国”の日本をどう生きぬくか

  • 2011/07/06 掲載

【田中理恵子氏インタビュー】“社会問題先進国”の日本をどう生きぬくか

『平成幸福論ノート』著者 田中理恵子氏インタビュー

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幸福とは何か――という議論が国内外で盛んである。経済的な観点からだけではなく、さまざまな角度から幸福感についての研究などが進む中、マクロ・ミクロ相互の観点で日本人の幸福について論じた意欲作『平成幸福論ノート 変容する社会と「安定志向の罠」』(光文社新書)が刊行された。社会が変容する中でこの国における幸福と不幸をどのように捉えればいいのか、著者の田中理恵子氏に伺った。

孤独すぎる日本の男たち

――幸福のあり方について周到な分析を示した『平成幸福論ノート』を大変興味深く読ませていただきました。まず本書を書こうと思われた動機についてお聞かせいただけますか。

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『平成幸福論ノート』

 田中理恵子氏(以下、田中氏)■「幸福論」の迷走に対する危機感が、直接的な執筆動機です。とくにここ10年くらいを考えると、何をもって「幸福」かの問題を横において、ひたすら「生き方のヴァージョンアップ」を説くような「向上系言説」が目につきました。それについていけない層には――向上系に対して「脱力系言説」と私は呼んでいますが――「しがみつかない云々」を説いてみたり、あるいはつらく厳しい現実を、別次元の超自然的な力にすがって乗り越えようという欲望の表れか、スピリチュアルやパワースポット頼みが流行ったり(笑)。

 さらに、閉塞感の打破という国民感情を反映して、政権交代も起こりました。民主党政権は、見方を変えれば「国民の幸福感の刷新」が眼目にあるように思うんですね。鳩山前総理の「新しい公共」にしても、菅総理の「最小不幸社会」にしても。なぜ政治レベルでまで、幸福という主観的なものについて再考がなされるのか、という点も検討したいと考えました。

 これらは一見まったく異なる言説の百家争鳴、いえ百鬼夜行かもしれませんが(笑)、ともかく広く厚く蔓延している不安や制度疲労が主たる要因という点では一致しています。言うまでもなく今の日本では、バブル崩壊後の低成長やデフレの進行により、GDP(国内総生産)上昇を眼目に置いた制度設計では立ち行かなくなってきています。

 また個人の人生にとっては、日本型雇用慣行の綻びや晩婚化・非婚化などにより、かつて「普通」とされた人生設計が、どんどん高騰してきています。いきおい、「普通の幸せ」は値上がりしてしまいますね。「経済はデフレなのに、庶民の幸福はインフレ」という恐ろしい状況が展開しています。人間、最初から高嶺の花と決め込んでいるものが手に入らないときには、とくに不幸は感じません。でも、「本来得られて当たり前」と思っているものが手に入れられない場合、焦燥感や不満は高まり、不安も広まります。でも、その前提となる「普通の幸せ」とは何かとつきつめて考えれば……、これは高度成長期を中心とした「昭和的価値観」が根底にあるんですよね。

 今さら何をと思われるかもしれませんが、案外昭和はしぶといですよ(笑)。制度設計だけではありません。人間は、自分の生育環境を基盤に価値観を形成します。とくに、家族観は自分の親が基準です。普段はあまり意識しなくても、いざ結婚や出産など家族関連行動を起こそうとなると、自分の親のやってきたことが基準となってしまう。日本人は若年層でも結婚観は驚くほど保守的で、その理由は本書で詳細に分析しましたが、その一つには親の世代の価値観が若年層に与えている影響の大きさもあげられます。

――本書について、ご自身で「『黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望』につづく作品」と位置づけられ、どちらも“昭和の成功”が現在にもたらしている問題をどのように解消するかを考えながら書かれた側面が大きいと「あとがき」で触れられています。田中さんご自身にとっては、その“昭和的感性”をどのように感じていらっしゃいますか?

 田中氏■『黒山もこもこ、抜けたら荒野』は、筆名「水無田気流(みなした・きりう)」名義で書きました。これは、こちらの筆名のほうが流通しているというのが第一の理由ですが、第二には、「私」の匿名性を強調したかったという理由もあります。特殊な筆名でキャラを立てることにより、「田中理恵子」という現実に生きている人間の個人史から少し距離を置いて、「標準的な郊外育ちでサラリーマンと専業主婦の子どもの個人史」を描いてみたかったんです。

 生育過程から、その後のバブル崩壊が個人史に与えた影響を、デフォルメして著してみました。年齢的には、団塊ジュニア世代とほぼ同じ。国道16号線沿いという、ロードサイド型ショッピングセンターが立ち並ぶ、いわば日本の「アメリカ化」の前線基地のようなところで育って、同年代の人の数も多くて……。タイトルの“黒山もこもこ”は、幼稚園児のときに見に行った上野動物園の初代パンダ、ランランとカンカンを見に行ったときの思い出からとっています。黒山の人だかり、パンダよりも人の黒い頭がもこもこしていた図が浮かぶという。いや、考えたら私の人生、イベントは黒山ばかりで(笑)。

 結局昭和は、黒山の人だかりの時期こそが最盛期だったと思いませんか? 「美智子さまご成婚」も、「大阪万博」も、みな黒山でしょう。国民が年齢性別を問わず同じ関心を共有し、同じような年齢層は同じような生活を送り、同じような年齢で就職し、結婚し子どもを産み、家を買う。人々が黒山で人生の選択をしてくれるので、商品を売る側も今よりずっと楽だったでしょうね。それが現在では、消費行動も個人化し、単身世帯が夫婦と子どもから成る標準世帯を上回り、たとえ家族世帯であっても行動単位は個人化しています。孤食化、ケータイ電話の普及、そして関心や娯楽の多様化といったことは、その原因であり結果でもあります。どちらがより「幸福」なのかは、主観的な問題です。

 もちろん、私自身は自分の人生を幸福だと思っています。ただ、社会制度設計上の問題点、たとえば世代間格差などの明らかな「不公平」は、是正すべきだと思っています。そういえば、去年「朝まで生テレビ」に出演させていただいたときも、この二つの混同が見られましたね。「若者不幸社会」というタイトルだったのですが、最後まで「不幸」と「不公平」の混同が正されませんでした。私はそこをきちんと分けるべきだし、それと田原総一朗さんが持ち出してきたGNH(国民総幸福量)の図表が、いったい何を基準に「幸福量」を算定しているのかを最初に説明すべきだと主張したのですが、そこもずっと無視されてしまって、残念でした(笑)。ともあれ、今なお根強く残る昭和的幸福感を「標準」とし、そこから引き算で現在を見てしまう「習慣化された価値観」も是正すべきでしょう。私にとって昭和とは、「乗り越えるべき幸福感」でもあります。

――この本では統計などを示しながら、日本の男性が世界の中でも突出して「孤立化リスク」が高いと指摘なさっています。このリスクがもたらす事態についてお聞かせください。

 田中氏■『無頼化する女たち』を出したときに、「男性の問題も扱ってほしい」という声が結構あったんですね。あの本は女性論の本にしては珍しく、読者は男女比がきれいに半々で、意外なほど男性が読んで下さっていたようです。たしかに、男性のおかれた状況の問題点を見直す必要があると考えて、『平成幸福論ノート』を書いた部分もあります。

 まず、日本の男性の最大の問題は、「就業以外の社会参加機会が非常に乏しい」という点があげられます。OECD調査でも、「日本の男性は世界一孤独」との結果が報告されています。これは、仕事以外の人間関係がほとんどない人が多すぎるということなんですね。それから、都内では孤独死の七割は男性です。仕事以外に何もない人が多いということは多くの問題をはらんでいますが、孤独死リスクを押し上げる点は見逃せません。とくに「若年層・男性・単身世帯」は地域社会とのつながりも乏しく、しかも晩婚化・非婚化によって家族世帯を営む可能性も低減しつつあります。

 仕事以外の人間関係が築けない、あるいは会社に長時間いなければならない「企業風土」により、仕事以外の活動がほとんどできないといった事情のため、多くの男性にとって家族は非常に重要な意味をもちます。でも、結婚など家族関連行動がとりづらい現状は、孤立化を進行させます。また、日本社会は失職がもたらす生活破綻リスクが極めて大きい。これは、旧来の年功序列賃金体系など日本型雇用慣行の抱える問題のためです。日本の企業では、一般にキャリアに「抜け」があると昇給が難しいですね。長期間継続雇用者を「主流」労働者としているため、それ以外の働き方をする人たちは「周辺」に位置付けられてしまう。だから、今の職にしがみつかざるを得ない人も多く、それだけで手一杯になるのもしかたないかもしれません。しかも仕事以外の人間関係に乏しいとなると…失職がただ仕事を失うだけでは済まされず、あらゆる孤立化の問題に直面することとなります。『平成幸福論ノート』でもずいぶん考察しましたが、今後も変化しゆく状況に応じて検討を加え続ける必要があると考えています。

――また、生涯未婚率の上昇を踏まえ、結婚のハードルが大幅に上がった現状についても分析なさっていますが、これらはとくに若年層にとって大きな問題となりそうですね。

 田中氏■男性の生涯未婚率(50歳時点未婚)は、近年急上昇しています。戦後の日本社会は既婚率も高く、しかも80年代までは女性のほうが若干高かったのですが、それでも男女間にそれほど差はありませんでした。だいたい、男女とも2~4%で推移していたんですね。生涯未婚率が劇的に変化したのは、90年代です。この時期、男性の結婚事情が大きく変わったことが示唆されます。90年に5%台半ばを超えて女性の4%を抜き、2000年代に12%台半ば(女性5%台後半)に上昇します。05年にはさらに16%に上昇しますが、これに対して女性は7%台前半です。つまり、「2000年代以降、男性生涯未婚率は女性の倍」という状況が続いており、しかもその数値は上昇し続けているのです。

 では一方、未婚者は結婚したくないのかというと決してそんなことはなく、だいたい未婚男女の九割もが、結婚や子どもを持つことを望んでいます。ただ問題は、やはり経済的な見通しです。現状の雇用慣行では、企業は基本的に現在正規雇用されている中高年層を守るため、新規雇用者の採用減などにより雇用調整を行う傾向があります。『平成幸福論ノート』では世代間格差の問題も扱いましたが、この雇用環境の世代間格差のほか、日本は「世代会計」の点から指摘される格差も大きい。世代会計とは、年金・医療などの「受益」と、税や社会保険料などは「負担」とを比較し、世代的な損得を定量的に評価する枠組みです。日本の場合、現役世代が現在の高齢者世代を養うという「賦課方式」をとってきたのですが、少子高齢化はこの前提を大きく覆します。

 日本の現行の制度設計では、大雑把に言って40代半ばより下の世代は「損」となりますが、その「負担」は若年層ほど重くなっていきます。現在の新生児世代と70歳世代を比較すると、受益と負担の「格差」は何と約1億円にもなると指摘されています。端的に言って、「雇用」と「世代会計」二つの負担が、若年層には重くのしかかっているのです。『平成幸福論ノート』は、とくに若年層の方にこの現状を知ってほしいという意図もあって書きました。とにかく、若い人たちには最低限選挙には行ってほしい。今、有権者の平均年齢は50歳を超えており、5割が55歳以上です。しかも、投票に行く人も高齢者層が多い。だから政治家も、得票数を伸ばすため、高齢者寄りの政策を強調するようになる。でも、そのことがより一層日本の将来を危うくしていきます。これではますます若年層は結婚・出産に踏み切れず、さらに少子化が進み、それゆえ現役世代一人あたりの負担も重くなり……という悪循環から脱することはできません。

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