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  • 2021/02/02

「くれ竹筆ぺん」の老舗が新分野に挑み続ける理由、目元から農園まで“伝統”が息づく

連載:経営トップに聞く「優秀企業のアプローチ」

1500年以上前に日本に伝わり、伝統文化として定着している「墨」の世界。木簡として発掘された墨文字は、長い時を刻んでも色褪せず、歴史の証人として第一級の資料になっている。奈良の老舗企業・呉竹は、この“墨”の文化を守るため、従来からの墨づくりだけでなく、ペンやマーカー、さらにはホビークラフトや化粧品、融雪剤や導電性塗料など新たな事業領域にも次々進出している。同社 代表取締役社長 西谷一郎氏に話を聞いた。

フリーライター 井上 猛雄

フリーライター 井上 猛雄

1962年東京生まれ。東京電機大学工学部卒業。産業用ロボットメーカーの研究所にて、サーボモーターやセンサーなどの研究開発に4年ほど携わる。その後、アスキー入社。週刊アスキー編集部、副編集長などを経て、2002年にフリーランスライターとして独立。おもにロボット、ネットワーク、エンタープライズ分野を中心として、Webや雑誌で記事を執筆。主な著書に『キカイはどこまで人の代わりができるか?』など。


墨の聖地・奈良で創業、100年企業の変遷

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呉竹
代表取締役社長
西谷一郎氏
(画像提供:呉竹)
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墨を磨る時間を短縮し、書くことに専念してもらうことが狙いだった墨滴。墨汁と異なり、固形墨に似た墨本来の色合いがあり、半紙に書いて書道として成立する
(画像提供:呉竹)
──まず、日本の墨づくりの歴史的な背景を教えていただけますか?

西谷一郎氏(以下、西谷氏):日本書紀によると、推古天皇の飛鳥時代に、大陸から墨が伝わったと記録されています。お寺で写経を行う際に墨や筆の需要があり、室町時代には奈良の墨づくりが一気に広まりました。植物油をつけて燃やす燈明の煤(すす)が、墨として書きやすくて伸びがあるため評判になりました。現在、日本にある固形墨のほとんどは奈良で生産されているもので、全国シェアは約95%に上ります。

──奈良は墨づくりの聖地、というわけですね。その奈良の地で事業を展開する御社の沿革を教えてください。

西谷氏:奈良の地場産業である固形墨をつくる企業として、1902年(明治35年)に綿谷奈良吉が製墨業「綿谷商会」を設立したのが始まりです。学校向けに固形墨を提供するなどの活動を行い、1932年には「株式会社 精昇堂商会」を設立しました。さらに1953年、「株式会社 呉竹精昇堂」と改名し、5年後に液体墨の「墨滴」を発売しました。学校で墨を磨る時間を省くために、そのまま書ける書道用液を開発したのです。

──呉竹の墨滴は、いわゆる墨汁とは異なるものなのでしょうか?

西谷氏:はい、異なるものです。墨汁はポスターや看板に書くことが多いため、色味が墨とは異なっており、文字もテカります。一方、墨滴は、半紙に書いても書道として成立する液体墨です。固形墨に似た色具合いになるように工夫して、液体化します。

 そのほかにも、プロが使う固形墨をそのまま磨りおろした生墨という液体墨もあります。また奈良墨の伝統と技術を継承したいという思いから、後世の評価に耐える固形墨として独自に企画した「千寿墨」も、1975年から毎年数点ずつ発表しています。

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令和二年度・第46弾の固形墨「千寿墨 緑牙撥鏤」(せんじゅぼく りょくげばちる)。正倉院に収蔵の「緑牙撥鏤尺」の一部を題材とした。裏面に唐花文と鳥獣文を交互に配し、側面の雲気文も忠実に再現した芸術品だ
(画像提供:呉竹)



水性サインペン、そして「くれ竹筆ぺん」を開発

──墨製品だけでなく、独自の水性サインペンや筆ぺんも世に送り出しています。開発経緯について教えてください。

西谷氏:時代の変化とともに墨だけでは売上を伸ばせなくなったため、1963年に水性マーカー「クレタケドリームペン」を開発し、市場に投入しました。当時は油性マーキングペンしかない時代でした。このサインペンの技術を活用し、1973年に投入したのが、みなさんよくご存じの「筆ぺん」です。

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油性マジック主流の時代に発売した水性マーカー「クレタケドリームペン」。当時、奈良と横浜にあった遊園地の「ドリームランド」にちなんで付けた名称であった
(画像提供:呉竹)

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筆と同じように芯先でトメ、ハネ、ハライが表現できる「くれ竹筆ぺん」を1973年に初めて世に送り出した。書道を生業にする企業としてのこだわりと思いが詰まった製品だった
(画像提供:呉竹)
 当時すでに他社も筆ぺんという名で商品を出していましたが、これは、サインペンに近い使用感でした。我々は書道を生業にしているので、筆と同じような穂先でトメ、ハネ、ハライができるものにしたかった。ですから本来の意味で毛筆に近い筆ぺんを出したのは、「くれ竹筆ぺん」が初めてだったと考えています。

──その後にペン製品で新たに「ZIG」ブランドを立ち上げました。目的は何だったのでしょうか。

西谷氏:「呉竹」のブランドは、全国的にも知れ渡っていましたが、やはり墨や筆ぺんのイメージが強く、ペン製品も書道コーナーのほうに置かれることが多かったのです。特にマーカーの場合は文具売り場に置いてもらいたかったので、1970年代後半に「ZIG」を立ち上げる動きにつながりました。ロゴについても、ジグザクに描けるから「ZIG」ということでジグザクをイメージしたものにしました。

 新ブランドは、海外展開も視野に入れていました。それまでOEMで輸出していたビジネスを、ブランドを確立することでNB(ナショナルブランド)商品の直接貿易に変えていきました。

──海外展開という点では、西洋習字のカリグラフィー分野にも進出しています。

西谷氏:1989年に昭和天皇が崩御され、年賀状が自粛になりました。そのころは、ワープロやPCの普及により、手書きの需要も減ってきていました。少子高齢化で学童も少なくなり、我々の事業に逆風が吹くようになったので、次の事業戦略としてホビークラフト分野に目を向けたのです。

 ちょうど米国を中心として、スクラップブッキング(SB)という趣味が広がっていました。家族を大切に思う気持ちから、写真をブッキングして思い出を書いて、飾りつけをして保存するものですが、その文字には西洋習字の「カリグラフィー」の手法が使われました。

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招待状やスクラップブックに使用される、文字を美麗に書く技術、カリグラフィー。ここでも、呉竹のマーカーが活用される
(画像提供:呉竹)

 ここに目を付け、水ににじまず陽に当てても色褪せないインクとして、従来の染料から顔料に代えた多色ペンを完成させました。ペン先は従来は刃先の割れた鉄筆が使われていましたが、同様の線が書ける繊維芯を専門メーカーと協力して開発しました。結果、米国でヒットし大きな売上につながりました。

【次ページ】液体融雪剤、導電性塗料、化粧品など、ユニークな産業用の新領域を開拓

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