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  • 2020/10/09

「経済なき道徳は寝言である」を胸に。サラヤが実践してきたSDGs経営の全貌

新連載:経営トップに聞く「優秀企業のアプローチ」

企業の生き残りをかけた争いがさらに熾烈(しれつ)になる中で、優れた企業の実例を知ることは大きなヒントとなる。今回から始まる連載では、中小企業研究センターが毎年経済的、社会的に優れた成果を挙げた中堅・中小企業を表彰する「グッドカンパニー大賞」に選ばれた企業に話を聞いていく。第1回では、戦後日本の感染症史とともに歩み、衛生・環境面での社会貢献からSDGs企業としても知られるサラヤの代表 更家 悠介氏を訪ねた。

フリーライター 井上 猛雄

フリーライター 井上 猛雄

1962年東京生まれ。東京電機大学工学部卒業。産業用ロボットメーカーの研究所にて、サーボモーターやセンサーなどの研究開発に4年ほど携わる。その後、アスキー入社。週刊アスキー編集部、副編集長などを経て、2002年にフリーランスライターとして独立。おもにロボット、ネットワーク、エンタープライズ分野を中心として、Webや雑誌で記事を執筆。主な著書に『キカイはどこまで人の代わりができるか?』など。

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2010年、ウガンダにて「サラヤ100万人の手洗いプロジェクト」を始動。現在は、寄付の限界を感じ、さらに活動を広げている(後述)
(画像提供:サラヤ)


医療や衛生の分野で幅広く支援、毎年着実に成長

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サラヤ
代表取締役
更家 悠介(さらや・ゆうすけ)氏
1951年生まれ。大阪大学工学部卒業、カリフォルニア大学バークレー校工学部衛生工学科修士課程修了。1976年にサラヤ入社。工場長などを経て、1998年に代表取締役社長。日本青年会議所会頭、地球市民財団理事長などを歴任。藍綬褒賞、渋沢栄一賞を受賞

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学校を中心に、60年以上にわたり愛されている同社の石けん液「シャボネット」
(画像提供:サラヤ)

──まず、貴社の事業内容について教えていただけますか?

更家悠介氏(以下、更家氏):我々のビジネスセグメントは、医療福祉(BtoBtoC)、食品や公衆衛生(BtoB)、一般消費者(BtoBtoC)です。

 医療では手洗い関連製品や薬剤、清拭クロスを取り扱い、中でも医療向けアルコール消毒剤のシェアでは国内トップシェアとなります。

 食品と公衆衛生の分野では、カラーコーディネートシステム(現場で必要な洗剤・消毒剤を用途別にカラーで分類したもの)など衛生管理に効果的な商品の提供や、衛生管理指導などを行っています。

 一般消費者向けには“自然派”というくくりで、品質を重視するロイヤル顧客をターゲットにしており、「アラウシリーズ」「ヤシノミシリーズ」などが主力商品です。

 世界に営業28拠点・製造9拠点(2020年1月現在)を持っています。米国を中心に展開し、アジアでも売れ、欧州へもこれから注力していく計画です。アフリカや中近東の国々へも進出していますが、そもそもまだ市場が大きくないので、現地での社会貢献運動とともに展開しているところです。

 今回のコロナ騒動で海外でも消毒剤の需要が高まっていますが、エビデンスのある商品を丁寧に売ることを心掛けているため、着実に市場基盤を作っていくつもりです。特に海外では、やはりローカル商品には値段で負けてしまいますから、品質やブランドで認知してもらえるよう努力しているところです。

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感染症対策では手指消毒剤のほか、手洗い教育ツールも提供
(画像提供:サラヤ)


感染症対策とともに歩んできた68年間

──そもそもどのような成り立ちで、事業を広げてきたのでしょうか。

更家氏:サラヤは、1952年に私の父親が創業しました。戦後間もない日本では、まだ赤痢などの伝染病が多発していました。その予防用として手洗い薬用石けん液と押出・押上式の石けん液容器(ディスペンサー)を日本で初めて開発し事業化したことが、ビジネスの始まりになります。

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環境に優しい「ヤシノミ洗剤」は1971年からの主力製品
(画像提供:サラヤ)

 その後、冬場に向けてうがい薬液を作りました。1960年代は工業地帯で大気汚染や光化学スモッグが起きていたので、うがい薬を学校で使ってもらうようにしました。さらに給食の食器洗剤も手掛けました。

 当時は、石油系合成洗剤の影響で、河川の水質汚染も社会問題になり、そのアンチテーゼとして、1971年に環境負荷がなく安全性の高い「ヤシノミ洗剤」を市場に投入し、これが主力製品の1つになったのです。

 また医療分野関系では、そのころ洗面器に殺菌剤を入れて手を浸す「ベースン消毒法」が普及していましたが、その際に洗面器に菌が残り、リスクの高い消毒方法になっていました。そこで1970年代に、消毒をアルコール製剤の速乾法に改める提案を行って、アルコール手指消毒剤を販売しました。

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アルコール手指消毒剤「ハンドサニターS」。いま、まさにコロナ禍において使われている手指消毒剤の原型となる商品だ
(画像提供:サラヤ)

 1990年以降も多くの感染症が流行しました。1996年には毒力の強い「腸管出血性大腸菌感染症」(O157)が国内各地で発生し、社会問題となりました。我々は1998年に伊賀市に自社工場を作り、本格的にメディカル分野に進出することにしました。

 2003年には中国の広東省でSARS(重症急性呼吸器症候群)が発生し世界中に広がりましたが、当時我々はアルコール用の自動ディスペンサーをすでに開発していました。

 その後も2006年にノロウイルス、2009年に新型インフルエンザ、2012年に「MARSコロナウイルス(中東呼吸器症候群)などが続き、いまは新型コロナウイルスの世界的なまん延で大変なことになっています。感染症のたびに、衛生に対する認識と重要性が強く喚起されてきており、それとともに歩んできたのが当社の歴史です。

ボルネオ島に「緑の回廊」の復活を

──国連の「SDGs」の影響もあり環境への配慮が高まっています。貴社の取り組みについて教えてください。

更家氏:我々が取り組んでいる代表的な環境保全の1つとして「ボルネオ保全トラスト」(BCT:Borneo Conservation Trust)に対する協力と支援があります。2006年のBCT設立からお手伝いをさせていただいております。

 ボルネオ島は、我々の生活に欠かせない「パーム油」の最大生産地の1つですが、油の需要の増加に伴って農園が急速に拡大し、熱帯雨林が急速に減少してしまいました。BCTでは、熱帯雨林だった土地を買い戻し、野生生物が行き交う「緑の回廊」を回復させようとしているのです。

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林を守りながら、パーム油の原料となるアブラヤシ農園の共存を目指し、ヤシノミシリーズなどの売上の1%(メーカー出荷額)を「ボルネオ保全トラスト」に支援している
(画像提供:サラヤ)

 とはいえ資金がないとこうした活動も続きません。そこで、まずはサラヤのヤシノミ洗剤の1%を寄付することを決めました。たとえ1%の還元でも、お客さまが一緒に協力してくださることに意義があります。

 2008年には日本にもBCTJ(ボルネオ保全トラスト・ジャパン) ができ、事務局はサラヤのビルに無償で入ってもらっています。とにかく、みなさんにボルネオのことを知ってもらいたい思いで、15年ほど地道に活動を続けてきました。

 また、問題となっているオーシャン・プラスチックの対策にも取り組んでいます。レジ袋が有料化されましたが、生物多様性をモチーフにしたエコバックを開発しました。加えて現在は、医療用の使い捨てガウンを再利用するための研究も進めており、撥水(はっすい)性素材をコーティングして複数回使える製品を開発しているところです。

【次ページ】「サラヤ100万人の手洗いプロジェクト」と、現地工場のインパクト

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