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  • 2021/08/02 掲載

日本の半導体が1980年代に興隆した最大の理由は「運が良かった」から

新連載:福田昭の「製造業異聞録」

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かつて、日本の半導体メーカーが興隆をきわめた時期、それが1980年代だ。半導体産業の「再生」や「復活」をうたうとき、1980年代の栄光を思い起こす関係者は少なくない。だが、かつての栄光をもたらした最大の理由が「運の良さ」にあったと認識している半導体関係者はあまり見られない。半導体産業が興隆した時代の出現は「運の良さ」に大きく助けられたという事実を改めて認識する必要がある。
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半導体メーカーの売上高ランキング(1971年、1981年、1986年、1989年、1992年、1996年)
(出典:ガートナーデータクエスト)


1980年代に師匠(米国)を弟子(日本)が追い越した

 半導体産業が米国で始まり、発展していったことを疑う半導体関係者はいないだろう。トランジスタの発見と改良、トランジスタ技術のライセンス供与(1948年~1952年)、ゲルマニウム材料からシリコン材料への転換(1950年代後半)、集積回路の発明(1958年、1959年)、MOS LSIの量産化(当初のトランジスタはバイポーラ)(1960年代後半)、CMOSの概念(1963年)、DRAM(1970年)、マイクロプロセッサ(1971年)など、数え切れないほどの技術革新が怒涛のごとくに米国で生まれていった。

 半導体先進国である米国を追いかけたのが日本の電子工業である。1950年にはトランジスタの動作を確認し、1950年代半ばにはトランジスタ(ゲルマニウム)の量産を始める。その後も日本は米国の背中を追い続けた。

 それから30年ほどが経過した1980年代に、米国の半導体産業にとって恐ろしいことが起こる。1986年に、本社所在地別(国・地域別)の半導体販売金額シェアでこれまでトップだった米国を日本が抜き、トップに立ったのだ。

 市場調査会社のデータクエスト(現在のガートナー)は世界の半導体メーカーを米国と日本、欧州、その他(アジア太平洋)の4つに分けた本社所在地別の販売額を毎年公表しており、この発表データが半導体業界では知られていた。データクエストの発表では、1980年代前半までは米国がずっと首位を維持していた。

 さらに、同じくデータクエストが毎年発表してきた半導体メーカー別の販売金額ランキング「上位10社」では1983年にNEC(日本電気)がトップとなる。

 それまでは米国のTexas Instruments(TI)やMotorolaなどがトップ集団を維持していた。たとえば1971年の上位10社は米国7社、日本3社という内訳だった。これが1980年代に入ると、大きく変わってしまう。

 1981年の上位10社は米国5社、日本4社、欧州1社となって米国企業が減り、日本企業と欧州企業が増えた。そして1986年になると上位10社の中で日本が6社となり、半分を超えてしまう。米国は3社に減る。残りの1社は欧州である。

 この比率は1989年の上位10社ランキング、さらには1992年の上位10社ランキングでも変わらない。なおインテルにトップを奪われる1992年まで、1983年~1991年はNECがトップを維持した。

日本が米国を追い越した理由のあれこれ

 当然ながら、日本が米国を追い越した理由(あるいは日本が半導体で世界一になった理由)の検討が日米双方で活発になった。

 大別すると、1)日本人が備えた形質によるとする言説、2)日本政府(通産省)が強力な保護育成策を実施したことによるとする言説、3)日本の半導体事業が総合電機・電子企業の一部門であったからだとする言説、4)半導体技術で先行した米国が日本に技術情報を開示してくれたからだとする言説、などがある。

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日本の半導体産業が1980年代に興隆した理由(諸説)。ここには主な説明だけを挙げている。1)~4)はいわゆる「日本人の特性」に理由を求めたもの。5)は歴史的経緯、6)は米国との関係、7)は日本政府の産業政策、8)は用途の違いによる製品特性の違い、9)は総合企業と専業企業の違いをそれぞれ理由とした言説

 1980年代後半~1990年代前半に日本でかなり信じられたのは、「1)の日本人が備えた形質(ものづくりが得意、好奇心が強い、模倣と改善に優れている、など)」を理由とする「日本人スゴイ」説だろう。

 しかし現在では、いわゆる「日本人スゴイ」説は説得力をまったく持たない。少なくとも半導体産業では、「人種や国籍などに起因する能力の差異はない」というのが現在の常識だ。

 同様に一時期は強く信じられた言説に「3)日本の半導体事業が総合電機・電子企業の一部門であったから(総合電機・電子ツヨイ)」説がある。

 その概要は以下のようなものだ。米国の半導体メーカーは専業が多く、なおかつ四半期ごとの決算によって収支を厳しくチェックされていた。このため、企業としての売り上げの規模が小さく、さらには長期的な視野に基づく大規模な開発投資や設備投資などが制限されていた。

 これに対して総合電機・電子メーカーである日本の半導体事業は短期的な採算を度外視した大規模な開発投資と設備投資ができたため、米国をキャッチアップして追い抜けたという説明だ。

 この説明は一時期、それなりに受け入れられた。しかし半導体事業の好況時と不況時の収支の変動が激しいことが、1990年代には逆の作用をもたらすようになった。不況時に巨額の赤字を出したことが、総合電機・電子企業全体の収支を悪化させた。

 半導体事業のトップは役員ではあるが、社長ではない。収支変動の激しさに萎縮し、景気後退期には設備投資の縮小が繰り返された。半導体事業は次第に「お荷物」となり、国内他社との事業統合や撤退などの衰退へと進んだのは周知の通りだ。

 一方で米国の半導体専業メーカーは景気後退期に、どのように対応したか。あるメーカーは倒産し、別のメーカーは事業転換によって生き残りを図った。新しい技術によって市場を創造しようとする半導体ベンチャーは常に生まれ続けた。また企業買収によって事業の拡大や延命などを図ることもごく普通に発生していた。米国の半導体産業は新陳代謝(倒産と再編成と起業)の繰り返しによってその地位を保ったとも言える。専業ゆえに、適応を余儀なくされた。このため、「1)日本人スゴイ」説と同様に、「3)総合電機・電子ツヨイ」説も現在は説得力をまったく持たない。

【次ページ】事実として残る理由は「産業政策」や「米国企業の開放性」など

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