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- 2022/03/11 掲載
セールスフォース創業者のスゴイ半生。「最強企業」に導いた数々の英断とは
連載:企業立志伝
父からたたき込まれた「会計処理の重要性」
マーク・ベニオフ氏は1964年、サンフランシスコで衣料品の小売りチェーンを経営していた父ラッセル・ベニオフと母ジョエルの長男として生まれています。父親の店はベイエリア周辺に6店舗あり、どの品目が売れているかというデータを集めては、売れ筋商品を最もよく売れている店舗に移す作業を平日も土日も熱心に行っていました。父親は取引業者に会うために出張し、在庫をあちこちに送るなど、小さな企業を経営しながら、さまざまな役割をこなし、膨大な時間を費やしていました。そんな父親の苦労を間近で見ていたベニオフ氏は、中小企業の経営には何が必要かを理解するとともに、顧客と従業員を心から気にかけることの大切さ、「一点の曇りもない会計処理の重要性を父からたたき込まれた」(『TRAILBLAZER』p23)と振り返っています。
コンピューターにのめり込んだ学生時代
父親から多くのことを学びながらも、自分は小売業に向いていないと早くに気づいたベニオフ氏が関心を寄せたのが電子機器でした。母親によると、4歳の時に家の電話機を分解して元通りに組み立てたベニオフ氏は、母方の祖母が来るたびに家電量販店のラジオシャックに連れていってもらうことを楽しみにしていたといいます。そして12歳の時には自宅の地下の部屋にこもり、さまざまな電子機器を組み立てるようになります。14歳で最初のコンピューター「TRS80」を手に入れ、15歳の時には初めて書いたソフトウェア「ハウツー・ジャングル」が75ドルで売れたことでコンピューターのとりこになっています。
16歳で「Atari800」を手に入れたベニオフ氏は友人と「リバティ・ソフトウェア」(『クラウド誕生』p20)という会社を設立。さまざまなゲームを制作して、半年で6,000ドル以上稼いだといいます。ゲーム制作のために城の研究をしたいからとイギリスへ一人旅もしています。
ベニオフ氏によると、父親も母親もコンピューターのどこが面白いのか十分には理解していなかったといいますが、ベニオフ氏の「強い意志、その気になればとことんのめり込む姿勢を尊重し、大人になったらそうした価値観が役に立つだろう」(『TRAILBLAZER』p18)と、ベニオフ氏が突き進むのを許してくれたことがその後の成功につながったようです。
アップルでアルバイト、ジョブズの姿勢を間近で学ぶ
やがて南カリフォルニア大学に進んだベニオフ氏は、リバティ・ソフトウェアの経営も続けながら、アップルでアルバイトとして働くという貴重な経験をします。1984年の夏休みのことです。ベニオフ氏はその年、アップルが世に送り出した、マッキントッシュ用のアセンブリ言語の一部を書くことを経験するとともに、スティーブ・ジョブズ氏がどのようにして開発者を叱咤激励しているか、アップルの精神をいかにして会社の隅々にまで行き渡らせようとしているかを間近で見たことが素晴らしい経験になったと振り返っています。
翌年となる1985年、ベニオフ氏は再びアップルのインターンとして働きますが、そこにジョブズ氏の姿はありませんでした。ジョブズ氏は同年、当時のCEOジョン・スカリー氏によってアップルを追放されたためです。ベニオフ氏は、ジョブズ氏がいなくなったアップルからは「私が大好きだったアップルの夢に満ちあふれた社風が、消えうせていた」(『クラウド誕生』p21)と話しています。
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