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  • 2020/09/29 掲載

世界一の投資家「ウォーレン・バフェット」の“見極める力”は何で培われたのか

連載:企業立志伝

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「世界一の投資家」と呼ばれるウォーレン・バフェット氏が2020年8月30日、日本の5大商社の株式をそれぞれ5%超取得したことが大きく報じられました。日本株はこれまで世界の金融市場から出遅れていたと見られていただけに、日本株、特に商社株に同氏が関心を示したことは、コロナ禍で暗くなりがちだった日本市場全体にとって明るいニュースとなりました。なぜバフェット氏はこれほどの影響力を持ち、「世界一の投資家」「オマハの賢人」として尊敬され続けているのでしょうか。同氏の人生からその理由を探ります。

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

1956年広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開することで定評がある。主な著書に『世界最高峰CEO 43人の問題解決術』(KADOKAWA)『難局に打ち勝った100人に学ぶ 乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)『大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ』(ビジネス+IT BOOKS)などがある。

大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ (ビジネス+IT BOOKS)
・著者:桑原 晃弥
・定価:800円 (税抜)
・出版社: SBクリエイティブ
・ASIN:B07F62BVH9
・発売日:2018年7月2日

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ウォーレン・バフェット氏の見極める力の源流とは
(Photo/Getty Images)


6歳:初めてのビジネス、銀行口座を開設

 バフェット氏は1930年8月30日、ネブラスカ州オマハで父ハワード、母リーラの長男として生まれています。のちの世界恐慌につながる、1929年10月に起こった株式市場の大暴落以降、ユニオン・ステート銀行の株式仲買人だった父親はほとんど仕事らしい仕事ができず、やがて仕事も預金も失います。苦労もありましたが、一匹おおかみ的なたくましさを持つ父親は証券会社を開業し、着実に顧客を増やすことで苦境を乗り切っています。

 「使う金は入る金よりも少なく」(『スノーボール』上p68)を標語とするバフェット家で育ったバフェット氏は、6歳の時から小さなビジネスを開始します。最初はチューインガムを売り、次にコカ・コーラを売っては数セントずつを手にしたバフェット氏は6歳にして早くも銀行口座を開設するほどのしっかりとした少年でした。

 その後も小さなビジネスを続けたバフェット氏は、10歳の時に父親と一緒にニューヨーク証券取引所を訪れたことがきっかけとなり、株式投資やお金儲けに強い関心を持つようになります。幼い日、「なぜそんなにお金が欲しいの?」と聞かれたバフェット氏はこのように答えています。

「お金が欲しいんじゃないんです。お金を稼いだり、それが増えていくのを見るのが好きなんです」(『ビジネスは人なり投資は価値なり』p13)

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(Photo/Getty Images)

 幼いバフェット氏にとってお金は「自立の証し」であり、自分ために働き、自分のやりたいことをやるうえで欠かせないものだったのです。そんなバフェット氏はある日、図書館で一冊の本に出会います。

 その本のタイトルは『1,000ドル儲ける1,000の方法』。そこに書かれていた「自分から始めない限り成功はあり得ない」という言葉と、「今日の1ドルが何年か後に10ドルになるという複利の考え方」に魅了されたバフェット氏は、お金持ちになるために早くから「小さな雪の玉(スノーボール)」をこしらえること、それを複利で増やすことを自分に誓います。


11歳:最初の株式投資で得た3つの教訓

 1942年、11歳のバフェット氏がためたお金は120ドルに達し、姉のドリスと一緒に初めての株式投資を行います。購入時の株価は38ドル25セントで、売った時の株価が40ドル。2人合わせてわずか5ドルの利益を得ますが、のちにその会社の株価が202ドルに上がったと知ったバフェット氏は3つの教訓(『スノーボール』上p110)を得ます。

  1. 1.買った時の株価に拘泥してはいけない(株価の上下に一喜一憂しない)
  2. 2.よく考えもせず慌てて小さな利益を得ようとしない
  3. 3.他人のお金を使って投資してはいけない

 バフェット氏の特徴の1つは、学んだ教訓を守り続けるところにあります。これらはやがてバフェット氏の投資を特徴づける「目先の利益を追うのではなく長く持ち続ける」へとつながっていくのです。


20歳:生涯の師ベンジャミン・グレアムに学ぶ

 バフェット氏はその後の勉強に励む一方で、さまざまなアルバイトに精を出します。祖父がオマハで経営している食料品店「バフェット&サン」で働いた時には、あまりに安い賃金にへきえきしていますが、その後に始めた新聞配達ではやがて50人もの少年を従えて配達をするほどのすご腕を発揮しています。

 そして14歳の時には初めての所得税申告を行い、早くも1,000ドルのお金をため、貯金額は高校生の頃には5,000ドルにまで増えていました。雪玉は着実に大きくなり始めていました。

 もちろんバフェット氏はお金儲けだけに血道を上げていたわけではありません。高校を350人中16位で卒業したバフェット氏はペンシルベニア大学のファイナンス学科に進みますが、最終学年で故郷のネブラスカ大学オマハ校に編入。1950年に20歳でニューヨーク州にあるコロンビア大学大学院に進学しています。普通の大学生よりも2歳も早く入学した、学力の優秀な生徒でした。

 バフェット氏がコロンビア大学を選んだ理由はただ1つ、バフェット氏の生涯の師となるベンジャミン・グレアム氏が同校で教えていたからでした。グレアム氏は「バリュー投資(良いビジネスを安く買い、高く売るための分析手法)の創始者」として知られています。今も多くの愛読者がいる著書『賢明なる投資家』をバフェット氏は19歳の時に読み、そのときの衝撃を「まるで神を見つけたみたいだったよ」(『スノーボール』上p207)と語っています。

 バフェット氏の投資手法はグレアム氏のほかに、「成長株投資」で知られるフィリップ・フィッシャー氏にも強い影響を与えていますが、バフェット氏自身は自らを「グレアム・ドット村の住民」と呼ぶほど根底には若き日に師事したグレアム氏の影響を強く受けています。

【次ページ】バフェット氏の「一生忘れられない言葉」、“負けなし”に導いた5つの原理原則

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