- 会員限定
- 2025/05/19 掲載
ウォーレン・バフェットが「世界一の投資家」になった必然、ブレない「シンプル哲学」
連載:企業立志伝
1956年広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開することで定評がある。主な著書に『世界最高峰CEO 43人の問題解決術』(KADOKAWA)『難局に打ち勝った100人に学ぶ 乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)『大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ』(ビジネス+IT BOOKS)などがある。
創業者の人生とともに世界中のトップ企業の源流を探る『企業立志伝』をビジネス+ITにて連載中。
6歳で初めてのビジネス、「1冊の本」との出会い
バフェット氏は1930年8月30日、米ネブラスカ州オマハで父ハワード、母リーラの長男として生まれています。1929年10月に起こった株式市場の大暴落以降、ユニオン・ステート銀行の株式仲買人だった父親はほとんど仕事らしい仕事ができず、やがて仕事も預金も失います。苦労もありましたが、一匹おおかみ的なたくましさを持つ父親は証券会社を開業、着実に顧客を増やすことで苦境を乗り切っています。
「使う金は入る金よりも少なく」(『スノーボール』上p68)を信条とするバフェット家で育ったバフェット氏は、6歳の時から小さなビジネスを開始します。最初はチューインガムを売り、次にコカ・コーラを売っては数セントずつを手にしたバフェット氏は、6歳にして早くも銀行口座を開設するほどのしっかりとした少年でした。
その後も小さなビジネスを続けたバフェット氏は、10歳の時に父親と一緒にニューヨーク証券取引所を訪れたことがきっかけとなり、株式投資やお金儲けに強い関心を持つようになります。
幼い日、「なぜそんなにお金が欲しいの?」と聞かれたバフェット氏はこう答えたようです。
「お金が欲しいんじゃないんです。お金を稼いだり、それが増えていくのを見るのが好きなんです」(『ビジネスは人なり投資は価値なり』p13)
幼いバフェット氏にとってお金は「自立の証」であり、自分ために働き、自分のやりたいことをやるうえで欠かせないものだったのです。そんなバフェット氏はある日、図書館で1冊の本に出会います。
その本のタイトルは『1000ドル儲ける1000の方法』です。
そこに書かれていた「自分から始めない限り成功はあり得ない」という言葉と、「今日の1ドルが何年か後に10ドルになるという複利の考え方」に魅了されたバフェット氏は、お金持ちになるために早くから「小さな雪の玉(スノーボール)」をこしらえること、それを複利で増やすことを自分に誓います。
11歳、初めての株式投資で得た「3つの教訓」
1942年、11歳のバフェット氏が貯めたお金は120ドルに達し、姉のドリスと一緒に初めての株式投資を行います。購入時の株価は38ドル25セントで、売った時の株価が40ドル。2人合わせてわずか5ドルの利益を得ますが、のちにその会社の株価が202ドルに上がったと知ったバフェット氏は3つの教訓(『スノーボール』上p110)を得ます。
- 買った時の株価に拘泥してはいけない(株価の上下に一喜一憂しない)
- よく考えもせず慌てて小さな利益を得ようとしない
- 他人のお金を使って投資してはいけない
バフェット氏の特徴の1つは、学んだ教訓を守り続けるところにあります。これらはやがてバフェット氏の投資を特徴づける「目先の利益を追うのではなく長く持ち続ける」へとつながっていくのです。 【次ページ】「投資の父」のもとで学ぶ、「企業を見る目」はこう養われた
リーダーシップのおすすめコンテンツ
リーダーシップの関連コンテンツ
PR
PR
PR