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- 2023/09/22 掲載
ジャニーズ性虐待問題、なぜ「見て見ぬふり」されたのか、凶悪犯罪の隠れ蓑だったもの
連載:小倉健一の最新ビジネストレンド
歴史上類を見ない性虐待
「私はいつも自分のせいだと思っていた。性的虐待を受けている事実が虐待であることを認識できないまま、自分は悪くないと理解できるようになるまで、長い時間がかかった」──これは、モンクレア州立大学のクリスタル・リン・ウールストン教授が調査した「性的虐待を受けた未成年男女」へのインタビュー調査でわかった、被害者たちの共通の証言である(Krystal Lynne Woolston『“It Was Like Double Damage” : An Exploration of Clergy-Perpetrated Sexual Abuse, Institutional Response, and Posttraumatic Growth』2023)。
故ジャニー喜多川氏による大規模な性加害が明らかになり、報道しない自由を行使してきたと批判を受ける「テレビ・新聞」には、後ろめたさもあってかきちんと襟を正そうという雰囲気が醸成されてきたようだ。
2023年5月3日の段階で、朝日新聞は「候補者紹介しない政見放送、ジャニーズ問題で9分 公選法上はあり?」という見出しで、『政治家女子48党(旧NHK党)が候補者名を一切紹介しないまま、大手芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」の所属タレントが性被害を訴えた問題を取り上げた』という趣旨の記事をつくった。
そして、この行為を批判的に捉える大学教授の声を『今回の放送内容は補選の候補者に関係がないものだと指摘。「選挙活動を通じてアピールするのは好ましくない。選挙を不当に利用する特権の乱用だ」と言う』として紹介している。
取り上げてはならないとは断定してはいないが、随分とジャニーズの性加害問題に対してそっけない態度を取っていたと感じさせる記事だ。ジャニーズ問題を取り上げたことをここまで批判的なトーンで大きな記事にする必要があったのか。すでにBBCなどが大々的に報じていたタイミングである。
しかし、潮目が明らかに変わったのは、2023年5月14日、藤島ジュリー景子氏が約1分の動画で謝罪をしたことだ。これを機にジャニー喜多川氏の性加害報道が加速度的に増えていった。。
同年5月27日には、同年5月27日に朝日新聞は、論説委員の田玉恵美氏の名義で以下のような反省の弁を述べている。
「03年の東京高裁判決は(ジャニー氏の)セクハラに関する(文春)記事の重要部分を真実と認定。04年に最高裁で確定した。朝日新聞は一連の判決をすべて報じている。ただ、多くは記者の署名もないベタ記事だ。今思えば、扱いが小さすぎるように思う。事情を知っていそうな同僚やOB・OGらにできる限り聞いたが、そもそも文春の記事の内容や裁判の詳細について当時の状況を覚えている人がいなかった。ただ、多くの人が同じ推測をした。この『セクハラ』が性暴力で、深刻な人権侵害にあたるとの認識が欠落していたことだ」と、ここまで書いて、本稿がメディア批判を目的としたものであるかというと、それは違う。ジャニー氏の行った未成年男児への性的虐待は、歴史上類を見ないものであるが、未成年男児への性的虐待は、世界中で起きている。
男児虐待が公になりにくい理由
BMCC社会科学部准教授のブレンダ・ヴォルマン氏は、『私はいつ被害者になったのか?男性児童期の性的虐待の語りを探る』において、メディアが「男児への虐待」を報じない傾向とともに、男児虐待が公になりにくい実態を指摘している。「メディアの事例は、虐待という現象が公に報道されたものであるが、多くの性的侵害が依然として報告されていないか、開示されても時間が経過してから明らかにされている。虐待の開示を測定する研究では、被害者集団が女性のみであったり、男性が含まれていても、開示した回答者の圧倒的多数(75~80%)が女性であったりすることが多かった。メディアは女児への虐待を積極的に取り上げる一方で、男性の被害者は十分に報道されなかったり、黙殺されたりしている。男児が報告する場合、思春期に被害を受けた者は名乗り出る可能性が低かった。報告不足は男児の傾向である。カトリック教会における性的虐待の1万件を超える事例のうち、虐待の疑いから1年以内に報告されたのはわずか11%、10年以内に報告されたのはわずか21%だった」この指摘に加え、以下のように問題を示している。
「少年たちにとって、性的虐待の経験は、男らしさ、ひいてはアイデンティティーの感覚を問うものである。彼らの多くは、虐待を止めることができなかったために無力感を感じ、自分を守ることができなかったことを恥ずかしく思っている」
ヴォルマン氏の研究や論文は、今回のジャニー氏の引き起こした問題について、私たちがどう受け止めるべきかについて大きな示唆を与えているように感じる。 【次ページ】民事でさえも法的に訴えることが困難
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