- 2007/03/30 掲載
【CIOインタビュー】 日立ハイテクノロジーズ グローバル戦略を支える骨太IT革新
経営革新を支える日本のCIO
日立ハイテクノロジーズ 卜部良基氏 |
(Yoshimoto Urabe)
日立ハイテクノロジーズ
情報システム推進部
ERP推進グループ
部長代理
1982年に大学卒業後、日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)入社。
1999年~2002年にドイツ駐在。
2002年4月より、情報システム推進部ERP推進グループ部長代理に就任。
2001年10月、グローバルなネットワークを持つ日製産業の商社機能と、世界トップレベルの技術力を有する日立製作所の計測器グループ、半導体製造装置グループのメーカー機能との統合により誕生した日立ハイテクノロジーズ。事業統合により、計測器および半導体製造装置事業を含めたナノテクノロジー事業における製造・販売・サービスの一体化を実現し、その名のとおり、最先端の技術分野を舞台としたハイテク企業として、さまざまな分野で事業を展開している。
1982年、同社の前身となる日製産業に入社し、当時配属された業務部門でそのITとのかかわりをスタートさせることになった卜部氏。今でこそ情報システム推進部ERP推進グループの部長代理として全社的なITプロジェクトを主導する立場にあるが、当時はワープロが課に1台あるかないかの時代である。コンピュータに詳しいスタッフもほとんどいない中、事務のOA(オフィスオートメーション)化の流れを受けてプロジェクトに投入されたのを機に、その後も数々のプロジェクトを推進してきた卜部氏は、「自らが手がけたプロジェクトの改善効果を通じて、非常にクリエイティブな面白い仕事だなと感じた」と言う。情報システム部門での開発・運用経験だけでなく、むしろ販売、経理など、企業の根幹となる業務をエンドユーザーの立場で長年経験してきたことは、卜部氏の大きな強みでもある。その強みを生かして主導してきたのが、同社のERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)ビッグバン導入プロジェクトだ。
同社はグローバルIT戦略の一環として、1995年頃から全社的なIT基盤の統一に向けて検討を開始。これは、メインフレームを撤廃し、オープンシステムに完全移行するという大規模なプロジェクトである。ERPという概念すらまだ十分に浸透していなかった時期に、同社は早くもERPの先駆けであるSAP R/3に目をつけた。評価にあたった卜部氏は、当時の印象を次のように話す。
「よくこれだけの業務をひとつのパッケージにまとめたなと思いました。設定によっていろんな機能を実現でき、機能間の連携を実にうまくやっているなと。我々がメインフレームでやれば3~4年かかることを、ひとつのパッケージで実現しているのだからすごい。」
SAPの導入を決定した同社は、あえて日本からではなく、海外からの段階的な導入アプローチを選択。アメリカの現地法人がすぐ使えるパッケージを求めていたこともあるが、理由はそれだけではない。
日本は慣れ親しんだ環境を『変える』ことに非常に抵抗を示します。アメリカはもっと実利的で、画面が変わってもやることは同じ、慣れの問題だと思ってくれるんです。新しいものを受け入れる感覚が一番優れていると思います。」
こうしてアメリカでの導入経験をもとに、ヨーロッパ、シンガポール、そして最後に日本へと展開。特に大きな混乱もなく、2003年3月には日本での本稼働を迎えることができた。卜部氏は言う。
「最初から大風呂敷を広げると、あとで閉じられなくなることも考えられます。プロジェクトを計画する際には、小さくシンプルにスタートして大きく育てていくようにしています。」
このポリシーこそが、同プロジェクトを成功に導いたといえる。しかし、文化が違えばIT導入に対する理解の示し方も異なるとはなかなか興味深い。
もちろん日本での導入にあたっては、メインフレームのシステムにあってSAPにない機能をどこまで取り込むか、その切り分けにはかなりの労力を費やした。現場のニーズにも耳を傾けつつ、EDI(電子データ交換)、旅費精算、帳票、業界独自の非常に細かい管理を必要とする材料取引のソリューション、この4点の移行に注力した。特に日本の帳票文化を変革するのは容易ではなく、月間30万ページにも及ぶ出力を3万程度に削減できたものの、完全なペーパーレス化が難しい現状もある。また、外部の取引先も含めたEDI連携のテストには膨大な時間を要した。
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