• 2025/11/07 掲載

閉幕から3週間……「万博」閉幕後の“リアル”、日本が「本当の成果」を得る5つの視点(3/3)

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外国人来訪は想定の半分、日本企業は何をつかんだのか?

3.出展企業のビジネスチャンスの創出
4.(万博で築かれた)国内外ネットワーク
 3、4に関しては、メディアやSNSではさほど語られてはいないが、重要な視点だ。万博には「企業の展示会」という側面もある。大阪・関西万博においても、「未来社会ショーケース事業」などの企画で、多くの企業が自社の技術や製品を展示した。

 残念ながら、本万博の外国人来訪者の割合は6.1%で当初の想定の約半分にとどまった。その点では、外国人に対して日本企業の技術や製品をアピールする場としては弱かったといえるだろう。

 本万博ではNTT、パナソニック、トヨタなどの大手企業がパビリオンを出展したほか、中小企業に特化した「未来航路」のような体験型展示や、ヘルスケアパビリオンなど、特定のテーマに沿った企業・団体が集まった展示も行われた。

 万博会期中から会場場外での展示企業のイベントが開催されていたし、閉幕後もさまざまなイベントが開催されている。

画像
大阪市のオフィスビル街
「大阪ビジネスパーク」
(写真:筆者撮影)

 万博出展の機会を今後どう生かすかは、もちろん各企業の努力次第ではあるが、自治体がどう支援していくのかも重要な視点となるだろう。

 筆者は、大阪に大学時代の4年間住んでいたが、約30年を経て、大阪はビジネス拠点の開発が大きく進んだように見える。先述の中之島・江戸堀エリアもそうだし、大阪城周辺の大阪ビジネスパーク(OBP)もそうだ。

 万博が大阪を中心とする関西経済の新たな起爆剤となりえるか、注目されるところだと思う。

実は最重要? 万博が残した、“次の時代”を作るもの

5.人々の意識変容
 最後になるが、金額換算はできないが、筆者としては5の「人々の意識変容」を重視したいと考えている。

 1964年に東京でアジア初のオリンピックが、1970年には大阪で「日本万国博覧会」が開催された。この大きな国家的なイベントが、高度成長期からバブル経済に至る、日本経済の起爆剤となったといわれている。

 一方で、1970年代の日本経済は、ニクソンショック、オイルショック(石油危機)が重なり、景気低迷に見舞われている。当時の東京五輪と大阪万博が日本経済にどのような影響をもたらしたのかは、現在に至っても明確とはいえない。

 しかしながら、国家的イベントを成功に導き、それらに国民が熱狂した経験は、日本が先進国としての国際的地域を確立したという自信、日本の今後のさらなる成長への期待を人々に抱かせることができたはずだ。

 当時と現在では、経済的な環境も世相も異なっているが、批判を恐れずに果敢に挑戦する精神、日本社会の発展のために官民が一体となって尽力する精神は、我々が今回の万博から学ぶべき点であり、またそれを受け止めて実践していくべき点であると筆者は考えている。

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