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- 2013/04/09 掲載
【萩原さちこ氏インタビュー】戦略の拠点「城」から読み解ける戦国大名の個性
『戦国大名の城を読む』著者 萩原さちこ氏
城の役割は変わりゆく
──『戦国大名の城を読む』に目を通すと、戦国大名が城を築いたり、改修をしながら、戦略の拠点としてマネジメントしていたことがわかりますね。彼らは城にどのような役割を負わせようとしていたのでしょう?萩原さちこ氏(以下、萩原氏)■そもそも軍事施設ですから戦国時代以前と役割は変わりません。南北朝時代に入り、楠木正成などが活躍した赤坂城・千早城の戦いを機に籠城戦という戦術が生まれ、城は合戦の舞台として存在するようになります。それ以降は籠城するための施設になるのですが、戦い方や領国支配の仕方、情勢の変化に応じて在り方や役割を変え、やがて政治経済の中心地になっていったといえます。
──そして、この本では、武田信玄や北条氏康、藤堂高虎、伊達政宗まで個性豊かな人物と城のかかわりが論じられています。どのような基準で取り上げる人物は選んだのでしょうか?
萩原氏■本書は戦国時代中期から江戸時代初期までを3時代に区分し、それぞれの時代を代表する戦国大名の城にスポットを当てて構成しています。人物の選定は、築城史において重要な人物を基準に選び、人気のある戦国大名をプラスしました。
戦国大名が台頭してから織田信長が登場するまでの戦国時代中期においては、武田氏と後北条氏が築城技術のツートップといわれますので、武田信玄と北条氏康を。北条氏康については厳密には北条5代という言い方が正しいですが。守りやすくて攻めにくい、テクニカルな城の原点はここに集約されていると考えられます。対比として、この時代の典型的な城を居城にした毛利元就を取り上げました。
信長による中世城郭から近世城郭への変革期は、信長と、信長の思想を具現化し発展させた豊臣秀吉、信長と秀吉が築いた<織豊系城郭>の典型といえる、秀吉の家臣で築城名人と名高い加藤清正を紹介しています。
一口に近世城郭といっても、織豊系城廓と徳川家康がつくった城は少し違います。信長と秀吉の城づくりを見てきた家康ならではの、太平の世にマッチした城が誕生するのです。ここに本書のテーマである大名のパーソナリティという側面も深く関わってくるわけです。この時代の項で語るのは、家康と、家康の城(江戸幕府の城)の開発者である藤堂高虎。あと、伊達政宗は築城史の発展という意味の貢献はありませんが、城という視点で語られることがやや少ない人物なので扱いました。
──また、松永久秀や真田昌幸、黒田官兵衛といった曲者たちと城のエピソードも面白かったです。出てくる人物と城で思い入れがあるのはどれですか?
萩原氏■信長や秀吉に比べれば知名度は低いのですが、松永久秀は個人的に追求したい存在です。信長に多大な影響を与えながら、年表だけ追っていくと不可解な部分が多い。その裏側に隠された人間性に興味があります。そして、2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公、黒田官兵衛は大注目ですね。築城名人であり、参謀型の軍師であり陰の天下人。世の中の動きを読みとる能力に長けていたばかりに、警戒され翻弄されていたのも事実でしょう。彼がしがらみにとらわれずに理想の城を築いたら、どんな城ができたのか見てみたいです。
──時代ごとの城の変化についても触れられていますが、特に「戦うための城」から「見せつけるための城」への移行がポイントなのかと感じました。その点、お聞かせ願えますか。
萩原氏■長い城郭史の中でも天守の誕生は新しいものですが、単純に軍事施設に視覚的要素をプラスしたのではない点が重要です。敵を威嚇すると同時に、領民に対しての抑止効果もあったはずですし。征服というとニュアンスが違うかもしれませんが、天守をシンボルに政治の道具として城を利用するという発想は、世の中の在り方そのものが変わるきっかけになったと言っても大げさではないように思います。
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