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  • 2018/12/18 掲載

なぜ富士通を14年目で辞めたのか、「怒りが起業のエネルギー」

連載:ライフシフト対談

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家事代行マッチングサービス、タスカジ。代表取締役の和田幸子氏は富士通のシステムエンジニア出身だ。なぜ安泰の大企業を離れ、独力ベンチャーを起こすに至ったのか。起業のテーマを見つけるまでの苦悩、大企業でいかに新規事業が難しいか、そして女性にとってのライフシフトとは――ライフシフトの専門家、多摩大学大学院教授・研究科長 徳岡晃一郎氏が聞いた。

構成:ビジネス+IT編集部 渡邉聡一郎

構成:ビジネス+IT編集部 渡邉聡一郎

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タスカジ代表 和田幸子氏。14年在籍した富士通から起業へとつながった経緯を語る



富士通から起業へのチャレンジ、最初に経験したのは「挫折」

徳岡晃一郎氏(以下、徳岡氏):人生100年時代を生き抜くために提唱される「ライフシフト」。80歳まで現役を続けなくてはいけないという、その危機感は40代~50代より30代の方が持っているように思います。ただ、具体的にどうしたらいいのかわからない。それで、大企業の会社員から起業してベンチャー企業の代表へと、若くしてライフシフトされた和田さんにロールモデルとしてお話をお聞きしたいです。

和田幸子氏(以下、和田氏):まず経歴をお話ししますと、1999年の入社から、富士通には14年間在籍していました。開発系のシステムエンジニアとして6年、それから慶應のビジネススクールに2年間、戻ってきて半年ほどで1年半の産休・育休に入りました。育休明けから事業部の中でも新規事業やWebマーケティングをする役割として4年ほど。それから2013年に退職し起業、2014年にタスカジがサービスインしています。38歳のことです。

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タスカジ 代表取締役
和田幸子 氏
1975年生まれ。大学卒業後、富士通に入社。エンジニアとしてERP製品の開発に携わった。2005年 富士通の企業派遣制度で慶應義塾大学大学院 経営管理研究科へ留学し、MBAを取得。2008年 第一子出産。13年11月 自身の課題である共働き家庭における「新しいライフスタイル」の実現に必要な社会インフラを「IT」で作るため、起業。ITを軸とした新サービス『タスカジ』の立ち上げを行っている。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2018「働き方改革サポート賞」受賞

徳岡氏:起業を考え始めたのはいつからですか?

和田氏:富士通に入社する前から起業という選択肢もあるとぼんやりと考えていました。ただ、周りにロールモデルもいなくて不安もあったので、まずは会社に入ってスキルや自信を身に着けてからのつもりでした。先を見据えてITリテラシーが絶対に必要になると感じていたため、技術者として入社しました。

 とはいえ、富士通を「修業の場」だと割り切っていたわけではないです。富士通でキャリアを重ねていく道や、社内起業の道も選択肢として考えていました。

徳岡氏:入社前は起業を考えていても、いざ会社に入ると、馴染んでその流儀に染まることもしばしばあります。起業への挑戦を忘れなかったのは、なぜでしょうか?

和田氏:会社に入ってからは、おっしゃるとおり起業なんて考える余裕もなかったのが実際のところです(笑)。ただ、日々の業務の中でも、ゼロから作り上げるプロジェクトに一番魅力を感じることに気づいていました。自分が作ったものがどんどん製品に組み込まれていくこと、もっとこうしたらいいのにと思うことが形になっていくことがうれしかったのです。

徳岡氏:そのまま富士通でキャリアを重ねる道もあったと思います。何か転機があったのですか?

和田氏:「挫折経験」という意味での転機が、慶應義塾大学院でのMBAです。MBA2年目に同級生と起業したのですが、まったくうまく行かなかったのです。続けるかどうか悩んだ時に、そもそも私の興味関心がその事業のテーマに合っておらず、これ以上この事業にエネルギーはかけられないと思い、止めました。「私はこんなにセンスがない。起業にはリスクもある。一生サラリーマンのほうがいいかもしれない」と、自信をなくした出来事です。

“怒り”が起業のエネルギー

徳岡氏:ですが、それから数年後にはタスカジを創業しています。

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徳岡 晃一郎 氏
1957年生まれ。日産自動車人事部、欧州日産を経て、2009年よりフライシュマン・ヒラード・ジャパンのSVP/パートナー。多摩大学大学院教授・研究科長。野中郁次郎名誉教授との共同研究によるMBB(思いのマネジメント)の第一人者。2017年よりライフシフトCEOを兼務。


和田氏:MBAから戻ってしばらくたつと出産・育児休暇に入ったのですが、家事のボリュームが圧倒的に増え、「膨大な家事をどうすればよいのか」という課題が常に頭の中を占めるようになりました。特に私はほかの人よりも家事が苦手だったので、他人より余計にエネルギーを消耗していた気がします。

 ただ、周りを見ても家事を巡って喧嘩したり、家事に専念するためにペースダウンしてキャリアが絶たれたりしているのを見て、考えたのです。「家事は必ずしも家庭で解決しなければならない課題ではない」と。それが、家事代行プラットフォームというタスカジのテーマにつながっています。

徳岡氏:ご自身が最も苦しんでいた課題が、起業のテーマにつながったと。

和田氏:また一方で、私は幼少期からロボットなどに熱中していたのですが、それに対して「女の子なのに家事が好きじゃない、得意じゃないなんて……」と周りから言われるしがらみに、すごく腹を立てていました。この「怒りのエネルギー」は起業に大きく生かされました。

 まとめると、「女性は女性らしくあるべき」 という社会規範への怒りと、家事への課題意識が合わさって、起業につながったというわけです。

徳岡氏:「家事代行」というテーマを見つけてから富士通を退社するまでのプロセスはどうでしたか?

和田氏:お話ししたとおり、本当にエネルギーを注げるテーマを見つけるまでに私はすごく時間がかかりましたが、テーマが見つかってからは1週間ぐらいで退職を決断しました。

 もともと事業を立ち上げたいという話は上司としていたので、驚いてはいましたが反対はされなかったです。人を育てることに価値を感じている会社なので、方向を定めて進むと決めたら応援してくれる人はたくさんいて、辞めるときも人脈を紹介してくださる方が何人もいました。

 夫とは結婚時から「家計も“ローリスク・ローリターン”“ハイリスク・ハイリターン”でポートフォリオを組んで最大化しよう」と言っていました。だから、私が起業したいと言ったときには「待ってました!」という感じでしたね(笑)。会社務めの夫が“ローリスク・ローリターン”、起業する私が“ハイリスク・ハイリターン”というわけです。

大企業での新規事業はこれほどまでに難しい

徳岡氏:ですが富士通も、新たなイノベーションを求めています。富士通の中で新規事業、という選択肢はなかったのでしょうか?

和田氏:一般的に、大企業の中でやる新規事業はすごく難しいと私は思います。

【次ページ】大企業での新規事業が難しいワケ、ベンチャーを立ち上げて驚いたこと

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