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- 2022/04/05 掲載
グーグル創業者ラリー・ペイジはなぜ成功できた? ジェフ・ベゾスが出資した理由が深い
連載:企業立志伝
1956年広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開することで定評がある。主な著書に『世界最高峰CEO 43人の問題解決術』(KADOKAWA)『難局に打ち勝った100人に学ぶ 乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)『大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ』(ビジネス+IT BOOKS)などがある。
・著者:桑原 晃弥
・定価:800円 (税抜)
・出版社: SBクリエイティブ
・ASIN:B07F62BVH9
・発売日:2018年7月2日
6歳からコンピュータに親しんだ天才少年
ラリー・ペイジ氏は1973年、ミシガン州で父カール・ヴィクター・ペイジ、母グロリアの次男として生まれています。父親は1960年にミシガン大学からコンピューターサイエンスの学位を受けた最初の学生の1人で、ミシガン州立大学で計算機科学の教授を務めており、母親も同じ大学でコンピュータープログラミングを教えていました。科学者の家に生まれたペイジ氏は藤井 聡太竜王なども学んだことで知られるモンテッソーリ教育を受けて育ちました。6歳の頃には早くもコンピュータに触り始めていたようで、こう振り返っています。
「父がコンピューターサイエンスの教授だったのは、本当にラッキーだった。そんな父さんのいる子どもなんて、僕と同じ世代にはほとんどいなかったからね。僕はどんな時でもコンピューターが好きだった。コンピューターがあればいろんなことができるって思っていたからだ」(『Google誕生』p41)
9歳年上の兄(メーリングリストサービスのeGroups設立者)の影響もあり、コンピュータをいじるのが好きだったペイジ氏は、父と兄にならってミシガン大学に入学してコンピューターエンジニアリングを学びます。ミシガン大学の教授たちによると、ペイジ氏は「本当にずば抜けていた。1人抜きんでていた」(『Google誕生』p43)存在だったようです。
のちの共同創業者となる「数学の天才」との出会い
1995年、スタンフォード大学大学院に進んだペイジ氏は、年下ながらスタンフォードでは2年先輩にあたる「数学の天才」サーゲイ・ブリン氏と意気投合し、一緒に過ごし、一緒に研究もするようになります。当時のスタンフォード大学には起業家精神をかき立てる雰囲気が満ちていましたが、共に大学教授の息子であるペイジ氏とブリン氏にとっては、大切なのは起業することでも、金持ちになることでもなく、博士号を取得することが最優先でした。
インターネット急成長期、検索にはもっといい方法があるはず
ペイジ氏が大学院で取り組んだのは、急速に成長していたインターネットの世界で、巨大なデータの山から必要な情報を抽出する方法でした。当時も検索エンジンはいくつもありましたが、スタンフォード大学のラジーヴ・モトワーニ教授によると、当時の検索エンジンは「不備だらけで、まるで意味のない検索結果がやたらたくさん出てくるだけ」(『Google誕生』p59)でした。インターネットを検索するには、ほかのもっといい方法が必要だと考えていたペイジ氏はある時、「科学文献にたくさん引用される論文ほど重要である」という考え方をインターネットの世界に持ち込むことを思いつきます。こう振り返っています。
「ある時、突然夢から飛び起きたんだ。その時頭にあったのは『ウェブ全体をダウンロードして、リンクの記録を取ったらどうだろう』という考えだ。すぐにペンをつかんで、アイデアを書き留めたよ」(『グーグル秘録』p59)
【次ページ】検索エンジン「Google」誕生。「不可能は無視して臨め」
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