そこで告げられた名前を、友信は由紀子に伝えた。
「佐伯重光って人なんだけど、知ってる?」
「あ、佐伯さん? よく知ってるわ」
「そうなの?」
「プライベートでもお付き合いのある人なの。と言うか、ここ、佐伯さんに連れてきてもらって知った店よ」
意外だ。確かにいつもの由紀子の趣味ではないが……と思わず周りを見回す。天井の低い室内に色とりどりのランプが小さく灯る店内の雰囲気は、てっきり、女友達にでも教えてもらったのだろうと思っていた。
「そう、佐伯さんが……。友信君、『取締役』っていうものについては、分かってる?」
「たぶん……」
「取締役会」「代表取締役」といった言葉は非常に一般的だが、実は、「取締役会」「代表取締役」は、全ての会社に存在するものではない。会社法は、会社の組織形態について、非常に多くの選択肢を作っている。「必置機関」、つまり必ず置かなければならない機関(自然人の役職や会議体)は株主総会と取締役だけ。「取締役会」「代表取締役」、さらに「監査役」「監査役会」「会計監査人」といったその他の機関は、会社によって設置されていたりされていなかったりするのだ。
投資を入れる代わりに「役員」の選任を求めるケースは多い。
「役員」とは、会社法の規定する取締役等。株主によって選任される役職だ。ちなみに、ベンチャーなどに多い「執行役員」は、名前こそ似ているが別のものだ。会社の業務執行を行う重要な使用人(この意味は後述する)、という意味で付けられている役職名である。
「でも、自分の会社によく知らない人を役員として入れる、っていうのは、ちょっと怖いなぁ」
「佐伯さんなら大丈夫よ。信頼できる人だし、仕事もできるし」
「由紀子がそこまで言うなら、きっと良い人なんだろうけど……」
「何だったら今から呼んでみましょうか?」
「えええ!?」
友信が止める前に、由起子の手にはスマートフォンが握られていた。小さく響き始めた呼び出し音を聞きながら、友信は目を白黒させた。
親しげな様子で短く言葉を交わし、由紀子は友信をちらりと見て囁く。
「いらっしゃるって」
「本当に!?」
「お待ちしてますわ、佐伯のおじさま。……さて」
と電話を切った由紀子は、友信に向かって身を乗り出す。
「それまでに、もう少し説明しましょうか?」
「う、うん」
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