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  • 2015/12/17

在インド日本人経営者インタビュー:異文化の中でビジネスを興すための心得

今月、インドを訪れた安倍首相とモディ首相の会談では、原子力協定、日本の新幹線技術の導入などの合意がなされ、両国の友好関係がアピールされた。13億の人口を擁する大国インドへの関心は、ますます高まっている。その一方、その国民性や現地でのビジネスの実態については知られざる面もある。そこで、インドで洋菓子店「Iroha」を営み5年目になるオーナーの柳 邦明 氏、シェフの大森 栄 氏に、現地の店舗にてインタビューさせていただいた。文化の全く異なる国という条件下で、ビジネスを立ち上げ、上手く根づかせるカギはどこにあるのだろうか。

エクシール・エフ・エー・コンサルティング 大塚賢二

エクシール・エフ・エー・コンサルティング 大塚賢二

東京大学法学部卒。金融機関、Big4系列コンサルティングファーム勤務等を経て現在、株式会社ファルチザン(http://financialartisan.com)の代表として、エクシール・エフ・エー・コンサルティングの中小企業、スタートアップ組織、個人事業者向け海外進出支援事業に取り組んでいる。公益財団法人日印協会会員。ニューハンプシャー州公認会計士。日本CFO協会グローバルCFO(米国CTP)。

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洋菓子店「Iroha」店内にてインタビュー

在印邦人の声にビジネスチャンスあり

――まず、オーナーの柳さんにお話をうかがいます。

柳氏:初めてインドの地を踏んだのは、2008年、青年会議所のニューデリー世界大会のときです。その頃のインドは高度成長の黎明期。人の多さもさることながら、出会った人々のパワーや目の輝きに圧倒されて、これはもしかしたら面白いことができそうだ、と強い印象を受けました。

 その数年後、青年会議所で知ったインド人のパートナーと意気投合して、もう一度インドに行ってチャレンジしてみようということになりました。まずインド在住の日本人を紹介してもらい、その方から別の人を紹介してもらい、さらに別の人を紹介してもらい…ということを続けて、状況を整えるまでには50人くらいの人と会ったと思います。

 私は、既存ビジネスではなく、インドでオンリーワンの事業を始めるつもりでした。インドで暮らす日本人が求めるものでなければ上手くいかない、とも考えました。それで、アンケートなどで200人ほどのインドの日本人に尋ねていった結果、有力候補が二つ出て来ました。

――その二つとは?

柳氏:一つ目は、美容院です。日本人の美容師さんがいなくて困る、という声が大きかった。そこで日本で美容師さんを見つけ、話が進みかけたのですが、あの東日本大震災でその方の店が大打撃を受け、インドどころではないということになり頓挫しました。

 二つ目が、スイーツです。日本にいるときのようにおいしいお菓子を食べたいという要望が多く、ならばお菓子屋さんで行こうと考えました。そのためにはパティシエを見つけなければならないのですが、パティシエを探すのではなく、まず「インド好きの人」を探しました。インド好きの人の周辺で、パティシエがいないかというアプローチです。幸い、インドに来てもいいというパティシエと出会うことができました。

信頼できるインド人と関係を築くこと

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Iroha オーナー 柳 邦明 氏
――自分でこれだと思い込むのではなく、現地の声からビジネスを始められたのですね。スイーツをやろうと決めてからオープンまでには、どのような道のりがありましたか。

柳氏:会社を設立したのが2011年3月です。1号店の場所を決めて工事を始めたのが5月。予定では8月オープンでしたが、思うように事が運ばず、結局、開店は2か月遅れの10月になってしまいました。

 特に大変だったのは電気工事です。インドでは、約束の期日に工事が完成しないなんて話は、よくあります。また、電気オーブンが結構な電力を使うので、その許可申請に時間がかかりました。高いアンペア値を確保するには、通常の許可よりワンランク上の、州知事の許可が必要だということが分かり、想定外の時間を費やしてしまったのです。

――その辺りの手続きについて、一体どのように調べたのですか。

柳氏:意気投合したインド人パートナーが、大きな力になりました。彼とは青年会議所時代からのつき合いですが、青年会議所というのはボランティア団体でして、そこでのつながりはビジネス前提ではなく、人間と人間の信頼関係です。そもそも彼がいなければインドに来ていません。彼がいたからこそ物事が早く進んだので、私一人ではとても無理だったと思います。その意味で、日本企業がインドへ進出しようとする場合、日本人だけでは時間がかかります。許認可の手続きだけでも大変です。

 「Iroha」オープン当時は、日本人3人、インド人3人という陣容でした。日本人は全員、日本から来てもらいました。そのうち1人がパティシエですが、面白いのが、あとの2人のうち1人は美容師なんです。美容院はやらないと言うのに、来たい、ということで。新しいことにチャレンジしたかったのでしょう。

 インド人は現地募集です。製造スタッフと販売スタッフですね。日本人パティシエがインド人スタッフに、お菓子の作り方、売り方を教え込んだのです。商品はシュークリーム、プリン、フィナンシェの3種類で始めました。

――開店初日はどんな調子でしたか。

柳氏:2011年10月19日、この日のことは忘れられません。「日本のスイーツが食べられる」という噂で、ここグルガオン(首都デリーの近郊都市)はもちろん、デリーからもわんさとお客さまが来られました。11時開店の予定でしたが、9時くらいから外で待っているお客さまがいらして、さすがに申し訳なく10時に店を開けました。200個くらい徹夜で作ったシュークリームも含め、すべての商品が、午後も早々に売り切れました。1人で10個も20個も買って帰るお客さまもいらっしゃいました。てんてこまいで大変でしたが、これほど期待されているのか、と感じたものです。

 日本のスイーツ店が出るらしい、という話はすぐに広まったようですね。当時のインドの日本人社会の情報源は、良いことも悪いことも全て、クチコミです。それだけに、悪い噂が立たないよう品質管理には気をつけました。

【次ページ】 「物価安のインド」という思い込み違い

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