- 会員限定
- 2021/03/25 掲載
なぜ、Airbnb創業者らは「最悪」と言われ続けたアイデアで成功できたのか
美大へ進学、共同創業者ゲビア氏との出会い
1981年、ニューヨーク州のニスカユナという田舎町に生まれたブライアン・チェスキー氏は、「仕事に打ち込む人もいますが、我々は子どもに打ち込んでいましたからね」(『UPSTARTS』p28)という父親ボブの言葉が表しているように、両親に溺愛されて育ったといわれています。子どもの頃は、「アイスホッケーの神様」と評されたウェイン・グレツキー氏に憧れてアイスホッケーに夢中でしたが、鎖骨を2度骨折したこと、「スター選手になるには小さすぎる」と言われたことで、同じように大好きだった絵を描くことに打ち込むようになっています。
アイスホッケーでは大成しないと言われたものの、絵の教師からは「この子は、きっと有名になりますよ」(『UPSTARTS』p28)と褒められるほど光るものがありました。
米国有数の美術学校ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)に進んだチェスキー氏は、のちに一緒にエアビーアンドビーを創業するジョー・ゲビア氏(同社CPO)と出会います。ある企業の研究プロジェクトに一緒に取り組んだことで、2人で考えるとどれだけ面白いアイデアが湧くかに気がつきました。ゲビア氏はチェスキー氏にこう言ったそうです。
「あのさ、いつか俺たち起業して、それが本になる」(『Airbnb Story』p27)
デザイン会社での挫折、ゲビア氏の誘いでロサンゼルスへ
アップルの天才デザイナーだったジョナサン・アイブ氏に憧れていたチェスキー氏は、デザインで「世界を変える」ことを夢見ていましたが、現実は単純な作業の繰り返しで、会社のあるロサンゼルスも好きになれませんでした。
そんなチェスキー氏を何とか自分の暮らすサンフランシスコに来させようとアプローチを続けていたのが、グラフィックデザイナーとして働きながら、お尻の形にデザインしたクッションを考案し、小さなビジネスも手掛けていたゲビア氏です。
寝室が3つある部屋でルームメイトが突然引っ越してしまい、なおかつ大家が家賃を値上げしたことで家賃を払えなくなったゲビア氏にとって、チェスキー氏が一緒に暮らすことで家賃を負担してくれれば、これほどありがたいことはありませんでした。
ゲビア氏の誘いに乗り、会社を辞めてロサンゼルスに移ったチェスキー氏ですが、無職のチェスキー氏にお金などあるはずもありません。この窮状を何とかしようと考えた結果、生まれたのがエアビーアンドビーの元となる「エアベッド・アンド・ブレックファスト(Airbed and breakfast)」です。
「アイデアってまさか、それだけじゃないよね?」
2007年10月、サンフランシスコで開催されるインダストリアルデザイン会議には大勢のデザイナーが参加しますが、当然、ホテルは予約でいっぱいになり、ホテル代も高騰します。そこで、チェスキー氏とゲビア氏は自分たちの部屋にエアベッドと朝食を用意し、安い寝床を提供することを考えます。さっそく、Webサイトを立ち上げた2人は、「デザイン会議で新しい人脈をつくろう」(『Airbnb Story』p34)という宣伝文句と共に一晩80ドルで募集を始めます。幸い、3人から予約が入り、2人は1,000ドルを稼ぐことに成功しました。
しかし、この時点ではこれがすごいビジネスになるとは考えておらず、本物のビッグアイデアを考えるまでの時間稼ぎになればいい、という程度でした。理由は、このアイデアを何人かのデザイナーに話したところ、「アイデアってまさか、それだけじゃないよね」(『Airbnb Story』p37)というつれない返事ばかりだったからです。
【次ページ】念願のブレチャージク氏加入、投資家には見向きもされない日々
関連コンテンツ
関連コンテンツ
PR
PR
PR