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- 2025/09/27 掲載
【単独】「疲れたことない」新日本プロレス棚橋社長、ブラック企業にならなかったワケ
新日本プロレス 棚橋弘至氏インタビュー後編
新日本プロレス所属プロレスラー。 岐阜県大垣市生まれ。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」。大学時代からレスリングを始め、1998年2月に新日本プロレスの入門テストに合格。1999年に立命館大学を卒業し、新日本へ入門。2006年に当時の団体最高峰王座となる、IWGPヘビー級王座を初戴冠。2011年1月、小島聡を破り、第56代IWGPヘビー級王者となる。そこから1年間で11度の防衛を果たし、当時の最多連続防衛の新記録を打ちたてた。その後も新日本プロレスの"エース"として団体を牽引し、2023年12月、新日本プロレスの代表取締役社長に就任。2024年10月の両国国技館大会での試合後に、2026年1月4日での現役引退を発表。メディアへの露出も多岐に渡り、リング内外での活躍を続けている。
前編はこちら(※この記事は後編です)
「疲れたことがない」から始まった十字架
2012年の東京ドーム。試合後、凱旋(がいせん)帰国したオカダ・カズチカ氏から「お疲れさまでした」と声をかけられた棚橋氏は、こう返した。「悪いな、オカダ。俺は生まれてから疲れたことがないんだ」
観衆4万人の前でのこの一言が、自らに“疲れない”という十字架を背負わせることになる。以後、家庭でも「疲れた」とは言えない日々が続いた。子どもに「お父さん、疲れたの?」と聞かれれば、「いや、疲れてないよ」と返すしかなかった。
しかしこの哲学は、社長就任時に思わぬ摩擦を引き起こす。
「社訓みたいな感じで壁に『疲れない』って書いたら、『社長、それはブラック企業です。社員の疲れは認めてください。社長はご自由に』って言われて、社長としてはあまり良くないという。危うく社長を早期で終わるところでした(笑)」
強さの言語化は、時に誤解を生む。自らの信念をどう組織文化に落とし込むか。それが棚橋氏にとっての“経営の初仕事”だったという。
実際、「疲れない」という言葉は、文脈を外れて一人歩きするリスクもある。求められているのは超人的な強さではなく、率直な姿を見せることだった。言葉の強さが、かえって社員やファンの距離を生むこともあると気づいてからは、「見せるリーダーシップ」から「共有するリーダーシップ」へと、棚橋氏のスタイルは大きく変わっていく。
「心の筋肉痛」が成長の原動力
「つらい時、苦しい時に頑張れるかどうかで、人の成長というのが変わってきます。筋肉というのは負荷を与えて繊維を破壊して大きくなるじゃないですか。心も一緒なんですよ。つらい気持ちは心の筋肉痛なんです」棚橋氏が体得してきたのは、困難や葛藤を“成長の前兆”として捉える感覚だ。筋トレと同じように、精神にも破壊と修復が必要だという発想。その考えは、組織にも応用できる。
短期的な成果や快適さだけを追うのではなく、負荷のかかる環境に身を置くことで、チーム全体が“強くなる回路”を持てるようになる。棚橋氏が理想とするのは、筋肉痛を前向きに捉えるカルチャーである。
リング上では「もう動けない」と思った直後に、歓声が選手を一歩前に出させる瞬間がある。あのゾーンを経験した人間だけが持つ感覚があるという。心技体は別物ではなく、ある領域を越えると一体化する。棚橋氏はそうした「限界の越え方」を現場で幾度となく体感してきた。

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