• 2026/08/19 06:10 掲載

『Bバージン』山田玲司が今明かす…師匠・江川達也に学んだ「完璧なヒットの方程式」

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「自分の作品も結構売れていたけど、同期の井上雄彦(『スラムダンク』の作者)は230万部も売っていた」──。『Bバージン』(小学館、1991~1997年)などで知られる漫画家・山田玲司氏は、常に周囲の才能たちにもまれながら、怒涛の20代を過ごしていた。ちばてつや賞でデビューするも「3連続の連載打ち切り」を経験するなどどん底へ。そこからいかにしてはい上がり、大ヒット作を生み出したのか。その裏には、『BE FREE!』(講談社、1984~1988年)や『東京大学物語』(小学館、1992~2001年)で知られる江川達也氏の現場で学んだ、凡人が天才に勝つための「残酷な売れる方程式」があった。山田氏に、現代のビジネスにも通じる“常識を破壊する仕事術”を聞いた。
聞き手・執筆:エンタメ社会学者 中山 淳雄

エンタメ社会学者 中山 淳雄

東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在し、日本コンテンツ(カードゲーム、アニメ、ゲーム、プロレス、音楽、イベント)の海外展開を担当する。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、シンガポール南洋工科大学非常勤講師も歴任。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。『推しエコノミー「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)、『オタク経済圏創世記』(日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書)など著書多数。

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漫画家・山田玲司氏に“ヒット作を生み出される方程式”をお聞きした

多摩美は天才だらけ…先輩漫画家の部屋で見た“人生の伏線”

――山田さんは、高校卒業後、多摩美術大学に入られます。この選択は、漫画家人生にプラスだったのでしょうか?

山田氏:美大に入学した後に、「才能は偏在する」ということを痛感することになります。大学入学後、漫画研究会(漫研)に入るのですが、そこにはもうプロがいたんです。

 たとえば、多摩美出身のOBで言えば、しりあがり寿さん(『真夜中の弥次さん喜多さん』『地球防衛家のヒトビト』など)や、はるき悦巳さん(『じゃりン子チエ』など)がそうですね。

 漫研のOBには、喜国雅彦さんや神矢みのるさん(多摩美在学中の1978年デビュー、『プラレス3四郎』など)がすでにデビューしていました。そのほかにも、まだ現役学生だったのに『週刊マーガレット』で連載していたのが、たかはまこさん(多摩美在学中の1981年にデビュー、『B級ママでいこう!』など)です。このあたりが先輩にいましたね。

 たかはさんの当時の彼氏だったのが、貞本義行さん(東京造形大学からテレコム・アニメーションフィルムを経てガイナックスに参画)です。

 そうしたつながりから、たかはまこさんの仕事を手伝いに行くこともありました。その時にたかはまこさんの部屋で見つけたのが、江川達也さんの『BE FREE!』でした。貞本さんが買って置いていったらしいんです。これが、後に僕がアシスタントになる江川さんの作品との出会いというわけです。まさに人生の伏線ですよね。
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漫画家 山田玲司氏(やまだ・れいじ)
1966年東京生まれ。多摩美術大学卒業。1986年にちばてつや賞を受賞。代表作に『Bバージン』『ゼブラーマン』『絶望に効くクスリ』『美大受験戦記 アリエネ』など。2014年からYouTube『山田玲司のヤングサンデー』をプロデュース・運営している。

――中学3年生で読切を秋田書店に持ち込みし、その後、自分で描き貯めた作品を、再び大学で持ち込み始めるんですね。

山田氏:大学に入って小学館の『ビッグコミックスピリッツ』に持ち込んで、編集担当が付きました。漫研の後輩には冬目景(1992年デビュー、『羊のうた』など)やウエダハジメ(2000年デビュー、『フリクリ』など)がいて、僕の部屋に来て仕事を手伝ってくれたりしていました。

 僕自身も、すぐに賞に入選して連載が始まるだろうと見切り発車で1人暮らしまで始めちゃっていたんです。でも、そこから連載を取るまでは本当に厳しかった。そのステージにあがるまでの「予選」がなかなか通らず、入賞もできない。結果的に引っ越したものの生活ができなくなり、バイトやアシスタントをしないと食っていけないという焦りの時代に突入していくんです。
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19歳で最先端? 江川達也×藤島康介のいる“ヤバい仕事現場”

――その当時はどうやって暮らしていたんですか?

山田氏:なんとかアシスタントでもして食いつながないと生活できない、となって最初に紹介されたのが『美味しんぼ』の花咲アキラさん(1983年から『美味しんぼ』を連載)でした。ただ、そのアシスタントの選考に落とされちゃったんですよね。

 ちょうどそのときに、小学館の編集者・江上英樹さん(「ギャグの江上」として『コージ苑』や『伝染るんです。』などを手掛けた名物編集者)が、「誰か手の空いているアシスタントはいないか?」と探していたんです。それが江川さんの仕事場だったわけです。

――江川さんは当時、講談社の『モーニング』(当時:コミックモーニング)で、『BE FREE!』(1984~1988年)を連載中でしたよね。そこから集英社『週刊少年ジャンプ』で『まじかる☆タルるートくん』(1988~1992年)を連載した後、『東京大学物語』(1992~2001年)で小学館『ビッグコミックスピリッツ』に移りますよね。

山田氏:僕が19歳で送られると、そこに藤島康介さん(1986年デビュー、『ああっ女神さまっ』など)がいました。他にも何人かいましたけど、基本は江川さんと藤島さんの2人体制で描いていましたね。

 江川さんの現場に行った頃は、ちょうど『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年公開のガイナックス制作アニメ映画)を作っていた時ですね。江川さんの周辺には、アニメ製作会社のガイナックスの人たちもいたわけです。

 まだ若い19歳の時に、当時の最先端のグループに関われたのは、僕の漫画家人生にとって大きかったですね。強運だったと思います。

――講談社では、小学館が1980年に創刊した『ビッグコミックスピリッツ』などを参考にしながら、1982年に『モーニング』を創刊。その姉妹雑誌として1986年に『アフタヌーン』を出していきます。

山田氏:そのアフタヌーンの立ち上げのときには、モーニング編集部の小川さんが藤島さんを連れて行って『ああっ女神さまっ』を連載させているから、みんなつながってるんですよ。やっぱり才能って偏在するんですよね。 【次ページ】スケベ・アクション・人情? 江川達也に学んだ売れる方程式
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