──司法試験に合格して弁護士になり、独立して起業する……ということは、最初から決めていたことだったのですか?
元榮氏■いえ、当初は独立志向はまったくなかったのです。そもそも、当時は法学部に弁護士実務家教員はほとんどおらず、司法試験の合格率も2%。合格した後の具体的なイメージを持てないのです。ドラマや映画の弁護士さんのイメージを理想に持ちつつも、「どういう弁護士になるかは、司法試験に受かってから考えれば良い」という感じですね。その後のいわゆる司法制度改革で、今はロースクールが法曹養成機関と位置づけられており、現役弁護士が実務家教員として実務を教えたりしていますから、ある程度状況は変わっていると思うのですが。
当時は、司法試験に合格した後で、突然ぱぁっと、弁護士の具体的なイメージが飛び込んでくるのです。その中の一つがビジネスロイヤー、国際弁護士と言われるような仕事でした。私はアメリカで生まれてドイツで育ったのですが、アメリカは4歳で帰って来ましたし、ドイツでは日本人学校に通っていたため、英語はネイティブではなかったのです。ルーツがアメリカにあることもあって、「いつか英語を使って仕事をしたい」という思いもあったのです。ビジネスロイヤーなら、留学もできるし、外資系の企業を相手に英語を使ったコミュニケーションもできるし、新聞を飾るようなスケールの大きい案件にも携われる。ダイナミズムを感じました。
──元榮さんは、弁護士になられた後、最初はアンダーソン・毛利・友常法律事務所……いわゆる「四大法律事務所」の1つであり、企業法務を中心とするエリート事務所に所属されていたのですよね。当時はどのようなお仕事が中心だったのですか?
元榮氏■M&Aや、不動産の流動化というファイナンス分野や、国際取引の分野です。大企業法務のみでした。本当に、当時は独立なんて一切考えていなかったのです。アメリカでニューヨーク州弁護士の資格を取ってアンダーソン・毛利・友常法律事務所に戻り、パートナー(事務所の共同経営者)を目指す、というのが当時の目標でした。
ただ、弁護士ドットコムを作るに至る1つのきっかけが、アンダーソン・毛利・友常法律事務所で手がけた、新興上場企業による証券会社の買収の案件でした。その上場企業が数百億円を資金調達して次々と企業買収を行っていた時期です。ビジョンを実現するために果敢に事業展開を進める新興企業の勢いを、そのときに初めて目の当たりにしたのです。30歳を目前にして、一度きりの人生だから、「事業家」という生き方も面白いんじゃないかと感じました。
アンダーソン・毛利・友常法律事務所には、入所4年~5年目前後に留学に行くというシステムがあるのです。その留学のタイミングが近づいていたため、この機会に、アメリカのロースクールに行くのではなく、MBAを取得するのも良いのではないか……などと考えました。経営者の方が書かれた本などを読みふけりましたね。孫正義さんの「時代は追ってはならない。読んで、仕掛けて、待たねばならない」という格言にも影響を受けました。そうしているうちに、2004年に弁護士ドットコムを思いついた、という経緯です。
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