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- 2015/04/23 掲載
なぜ「安全第一」を第一にできないのか? トヨタが大規模リコールで学んだ風土づくり
連載:トヨタに学ぶビジネス「改善」の極意
安全を本当の意味で「風土」にしている企業は案外少ない
今回のような事故や、多くの死傷者が出る大事故が起きるたびに、企業は安全の大切さを再認識するわけだが、安全を本当の意味で「風土」にしている企業は案外少ないのではないかというのが筆者の印象だ。
安全というのは、うっかりしているとあっという間に風化してしまうところに怖さがある。今から10年ほど前に起きたJR西日本の福知山線脱線事故も、今回の山手線の事故も後になってから「あの時、問題を解決していれば」といった事故の芽に気づいているにもかかわらず、対策が後手に回ったことで事故を引き起こしている。
福知山線脱線事故の場合、事故現場について日頃から運転士たちは「ブレーキが利きにくい箇所だった」とか「熟練の勘が必要だった」といった問題点を指摘していたにもかかわらず、こうした問題が共有されることはあまりなかったという。
今回の山手線の事故に関しても、事故を防ぐチャンスは少なくとも3回はあったと指摘されている。1回目のチャンスは、架線設備の改良工事によって線路の反対側の電化柱を撤去した際。2回目のチャンスは、山手線の運転士による「電化柱が傾いている」という報告だ。そして3回目のチャンスが始発列車に同情した作業員の目視による確認だ。
大きな事故は突然起きるわけではない
大きな事故は突然起きるわけではない。そこに至るまでに小さな危険に気づいたり、小さな事故が起こったりと、「最悪の事態」につながりかねない予兆があるものだが、福知山線の時も、山手線の時もなぜか見過ごされたり、「後でやろう」と後回しにされたことが結果として大きな事故につながっている。今から数年前、大きな事故が相次いだ頃、鉄道会社A社の支社がトヨタ式の「見える化」を導入することで事故を未然に防ぐ、安全を第一に考える風土づくりに挑戦したことがある。乗客の命を預かる以上、事故を起こさないように最善を尽くすのは当然のことだが、A社支社が最も重要だと考えたのは、表に表れにくい事故の芽を事前に摘み取るための問題や課題の掘り起こしだった。
工場などでもそうだが、鉄道会社でも、日々働いている人たちはヒヤリとしたり、ハッとする経験をたくさんしているものだ。あるいは、働いている中で、「これは危ないかな」と気づくことも少なくない。
ところが、こうしたたくさんの「ヒヤリハット」や「気づき」に遭遇したとしても、それらを上に上げることはないし、みんなで共有することもなかった。なぜか。働いている人の多くは「どうせ上の人間に言ったってムダだから」とあきらめていたし、上の人間は上の人間でこうしたヒヤリハットの報告を受けても、「気をつけろ」のひと言で片づけて、それ以上は何もしようとはしなかったからだ。
【次ページ】トヨタは大規模リコールという問題をどう捉えたか
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