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  • 2020/04/27

島津製作所の創業者、「日本初」尽くめの発明家“親子”が残したもの

連載:企業立志伝

2020年4月10日、計測機器・医療機器メーカーで知られる島津製作所が、検査時間を大幅に短縮できる新型コロナウイルス向けの検査キットを20日から発売すると発表し、注目されました。島津製作所は100年を超える歴史を誇り、今日の数ある京都ハイテク企業の源流とも言われています。同社を創業、発展させたのは「京都で新しいことがあると必ず島津さんの名が出る」と言われた初代 島津源蔵氏、そして「日本のエジソン」ともうたわれた二代目 島津源蔵氏の親子です。親子二代の物語を見ていきます。

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

1956年広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開することで定評がある。主な著書に『難局に打ち勝った100人に学ぶ 乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)『大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ』(ビジネス+IT BOOKS)などがある。

大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ (ビジネス+IT BOOKS)
・著者:桑原 晃弥
・定価:800円 (税抜)
・出版社: SBクリエイティブ
・ASIN:B07F62BVH9
・発売日:2018年7月2日

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島津製作所が発売開始した「新型コロナウイルス検出試薬キット」
(出典:島津製作所 発表資料)

はじまりは家業の仏具製造

 初代 島津源蔵氏は1839年、京都で仏具の製造をしていた清兵衛の次男として生まれています。父に従って家業を修めた初代 島津氏は21歳で分家、独立して仏具の製造を始めますが、家の近くにある京都舎密局(せいみきょく)に出入りするようになりました。

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(Photo/Getty Images)
 舎密局は、明治時代に化学技術の研究や教育のためにつくられた官営・公営機関で、「せいみ」とはオランダ語の「chemie(化学)」に対する当て字です。舎密局は京都を代表する化学者や科学者、役人などが出入りする場所であり、本来なら初代 島津氏のような職人が顔出しできる場所ではありませんでした。

 ですが、生来の新しもの好きの初代 島津氏は、足しげく通うことで、学者や役人たちに顔を覚えてもらうほどになりました。

 初代 島津氏は学問こそありませんでしたが、仏具製造という京都の伝統産業に従事し、金属加工や組み立ての技術を持っていました。その腕を買われて、初代 島津氏が手がけるようになったのが実験用の理化学器械の製造です。これが島津製作所の出発点(1875年創業)となっています。

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1枚の絵から国内初の有人軽気球を作る

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(Photo/Getty Images)
 初代 島津氏の元に大きな仕事の依頼が舞い込みます。国内初の有人軽気球の製造です。当時、欧米では「空」への関心が高く、軽気球の研究も盛んに行われていました。

 そこで京都府学務課長の原田千之助氏は、外国人の手を借りずに京都で軽気球をつくり、京都の空に揚げれば科学思想の啓蒙(けいもう)にも役立つと考えます。

 これを槇村知事に提案したところ賛同を得て、理化学器械の製造を行っていた初代 島津氏に依頼することになったのです。

 とはいえ、初代 島津氏は軽気球など見たこともありませんでした。渡されたのは外国の雑誌に掲載されていた1枚の絵だけです。図面もない中で、初代 島津氏はわずか数カ月で軽気球を完成。1877年に日本で初めての有人軽気球の飛揚(高さ36メートル)に成功したのです。軽気球の飛揚は大人気で、米一升が五銭強した当時に、一般が三銭、生徒は一銭五厘という観覧料にもかかわらず、4万8000枚の観覧券はすべて売り切れたといいます。

 「西洋にかぶれて、西洋鍛冶屋になってしまった」(『小説・島津源蔵』p6)と陰口を叩かれていた初代 島津氏の快挙であり、晴れ舞台でした。

「電気の時代」に生まれた二代目

 その後、初代 島津氏は1878年に京都府が招聘(しょうへい)したドイツ人科学者ゴットフリード・ワグネル氏の依頼により、さまざまな理化学器械を製造。1882年には製品カタログ「理化器械目録表」に、当時の小中学校の科学教育に必要な110点もの物理器械などを掲載するなど、いかなる注文にも応じることのできる技術力を身につけています。

 そんな父親を見て成長したのが梅次郎(二代目 島津氏。1869年生まれ)です。梅次郎は、初代 島津氏が1894年に55歳で亡くなった後、二代目 島津源蔵を襲名。理化学器械製造にかける初代の熱意を継承して、弟の源吉氏、常三郎氏とともに家業を企業として発展させ、今日の島津グループの原型をつくり上げ、事実上の創業者とも言われています。

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(Photo/Getty Images)
 「ある仕事をなすには、それに相応しい時代に生まれ合わせることが必要だ」はパナソニックの創業者・松下幸之助氏の言葉です。

 二代目 島津氏が10歳の頃は、トーマス・エジソンが白熱電灯の実験に成功して、発電機から配電盤に至る電気の全機器体系を築き始めた頃です。「電気の時代」の幕開けでした。

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 二代目 島津氏は、初代の考え方もあったのでしょうか、学校へはほとんど行っていませんでしたが、初代のそばでものづくりには触れ続けていました。当然、電気に対する関心は強く、「俺も何とか電気というもんを使うた機械をこしらえてみたい」(『小説・島津源蔵』p24)と考えるようになりました。

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島津製作所のあゆみ
 しかし、幼い二代目 島津氏にそんな知識はもちろんありません。

 そこで、父親に頼んで、フランスの物理学教師ガノー氏がフランス語で著した物理学の教科書を京都府の学務課から借りてもらい、その本を手に舎密局へ通っては、学者たちに教えを請うことで知識を身に付けていくことにしたのです。

 知識は本から学び、技術は父親に学んだ二代目 島津氏は、1884年に16歳でウィムズハースト式誘導起電機を製作して、翌年の京都勧業博覧会に出品。文部大臣の森有礼氏から激励を受けています。

【次ページ】父の死で決意、国内初のX線装置開発

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