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  • 2019/01/16 掲載

松下幸之助が示した「成功の法則」、パナソニックは“たった2畳の工場”から始まった

連載:企業立志伝

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日本には数え切れないほどの経営者がいますが、その中でも「経営の神様」と呼ばれたのがパナソニックの創業者・松下幸之助氏です。パナソニックという企業を一代でつくり上げ、1956年には、向こう5年間で売上げを4倍にする「5カ年計画」をなんと4年で達成している松下氏。本稿では彼の生い立ちとともに、その経営哲学を紹介していきます。

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

1956年広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開することで定評がある。主な著書に『世界最高峰CEO 43人の問題解決術』(KADOKAWA)『難局に打ち勝った100人に学ぶ 乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)『大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ』(ビジネス+IT BOOKS)などがある。

大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ (ビジネス+IT BOOKS)
・著者:桑原 晃弥
・定価:800円 (税抜)
・出版社: SBクリエイティブ
・ASIN:B07F62BVH9
・発売日:2018年7月2日

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「経営の神様」松下幸之助には独自の成功哲学があった
(写真:読売新聞/アフロ)


丁稚奉公から将来の可能性を感じた電気事業への転職

 松下幸之助氏は1894年、父・政楠、母・とくの三男(8人兄弟の末っ子)として和歌山市で生まれています。松下氏が生まれたころ松下家は村の旧家で、父親も村会に出たり役場の仕事をしたりと暮らし向きも豊かなほうでした。しかし1899年頃に父親が米相場に失敗、破産したため一家の生活は様変わりすることになったのです。

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 父親は「手近な収入の道を求めて必死に駆け回り」(「夢を育てる」p10)、兄2人と姉が相次いで病没。松下氏も1904年、尋常小学校の4年で学業を断念し、大阪の火鉢屋に丁稚奉公に出ています。

 しかし、火鉢屋が3カ月で店を閉めることになったため、次に自転車店に移り、6年間の奉公を経て1910年に大阪電灯(現・関西電力)に見習工として入社しています。理由はこうでした。

「(大阪市が計画中の)電車ができたら今に自転車の需要は減るだろう。この反対に電気事業は将来非常に有望だ。ひとつ転業しよう」(「夢を育てる」p17)

 松下氏は、弱冠16歳ながらしっかりと電気の未来を見ていたのです。そうして大阪電灯の幸町営業所の内線係として働き始めた松下氏の最初の仕事は、工事担当者のあとから材料を積んだ丁稚車を引いていくというものでしたが、わずか3カ月で見習工から工事担当者に昇格。浜寺海水浴場の点滅イルメーションや通天閣の電灯工事などさまざまな工事を担当しています。

 やがて工事担当者にとっての出世目標だった検査員に昇格しますが、検査員の仕事は担当者のやった仕事を翌日に検査して悪いところがあれば作業のやり直しを命ずるもので、2、3時間もあれば終わるという楽な仕事でした。

 それに物足りなさを感じた松下氏は、それまでは専門家でなければ危険でできなかった電球の取り外しをもっと簡単にしようと、新しい電球ソケットの開発に取り組むようになりました。しかし、そうして完成したソケットは主任から「だめだよこれは」と言われてしまいました。

 松下氏はそこで、何とかソケットをものにするために1917年に大阪電灯を退職、独立を決意したのです。

2畳あまりの工場からのスタート

 主任が止めるのも聞かず退社を決意した松下氏ですが、手元にある資金はわずか95円余りで、機械1台買うこともできませんでした。それでも将来への希望に燃えていた松下氏は友人から100円を借り、元同僚2人のほかに、結婚して間もない妻・むめのの弟で14歳の井植歳男氏(三洋電機創業者)を呼び寄せます。そして当時生活していた借家の二畳と四畳半のうち、四畳半の半分を土間にして工場として使うことにしたのです。まともに寝る場所さえない小さな工場からのスタートでした。

 松下氏は当時、自らが考案した新しいソケットを製造して販売することを考えていましたが、あいにくソケットの胴に使う「練物の製法」の知識がありませんでした。技術を教えてくれる練物工場もありませんでしたが、諦めきれない松下氏は練物工場から原料のかけらを拾って研究したり、元同僚に話を聞いたりします。そうして、1917年の10月ごろにようやく少数のソケットをつくることができたのです。

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パナソニックの歩み

 ところが、いざ販売を始めてみるとさっぱり売れず、大阪中を駆けずり回ってもわずか10円の売上げを上げただけでした。最初から乏しい資金は枯渇、風呂に行くお金さえなくなるほど困窮した松下氏の元から同僚2人は去り、松下氏と井植氏の2人だけが残ることになりました。

 そんな松下氏を救ったのが川北電気から持ち込まれた扇風機の碍盤(がいばん※絶縁体で電気を通さない板)1000枚の大量注文でした。それまで川北電気は碍盤を陶器でつくっていましたが練物に代えることになり、「結果さえよければ2万なり3万なりの扇風機に全部応用する」(「夢を育てる」p23)という夢のような注文でした。

 納期の厳しい注文だったものの松下氏と井植氏は全力を挙げて1000枚を製造、差引80円という初めての利益を手にすることができました。この成功によって窮地を脱した松下氏はその後、アタッチメント・プラグや二灯用差し込みプラグを考案。これらがヒットしたことで経営が軌道に乗るようになり、1918年に松下電気器具製作所を創業したのです。

「水道哲学」を考案、食べるための仕事から使命を果たす仕事へ

 その後、同社は自転車ランプのヒットなどで順調に業績を伸ばすことになりますが、昭和に入ってからは1929年の世界恐慌などにより、倉庫に入り切らないほどの在庫を抱えてリストラを行うほかないという状況に追い込まれます。

 しかしこの時、松下氏は「生産は即日半減するが従業員は1人も減らさない。このため工場は半日勤務とする。しかし従業員には日給の全額を支給する」(「夢を育てる」p34)と宣言するのです。この言葉に奮い立った社員が全力で販売に努力した結果、わずか2カ月で在庫をすべて売り尽すことで危機を脱しています。こうして危機を乗り越えた松下氏はラジオの製造などにも進出、事業はさらに拡大します。

 また、松下氏はその時期に「生産者の使命とは何か」を考えるようになり、そこから「生産者はこの世に物資を満たし、不自由をなくすのが務めではないか」(「夢を育てる」p36)という有名な「水道哲学」(水道の水のように良質なものを大量に供給し、消費者に廉価で届けること)を考案するに至っています。1932年5月5日のことで、この日が会社の創業記念日となっています。

 それまで松下氏にとって会社は食べていくための仕事でしかありませんでしたが、こうした“生産者の使命”に気づいてからは朝会や夕会を実施し、その考えを人に伝えるようになっています。

【次ページ】「商売はやればやっただけ成功する、成功しないのは……」

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