- 2021/12/18 掲載
瀬戸内寂聴さんが「好きなことがその人の才能」と語る深すぎる真意
瀬戸内寂聴
1922年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。1956年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞。1961年『田村俊子』で田村俊子賞、1963年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。1973年に平泉中尊寺で得度、法名寂聴となる。1992年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、1996年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2011年『風景』で泉鏡花文学賞を受賞。1998年『源氏物語』現代語訳を完訳。2006年、文化勲章受章。2018年『ひとり』で星野立子賞を受賞
瀬尾まなほ
1988年、兵庫県生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に寂庵に就職。2013年3月、長年勤めていた先輩スタッフたちが退職したことから、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。2017年6月より「まなほの寂庵日記」(共同通信社)連載スタート。15社以上の地方紙にて掲載されている。同年11月に出版したエッセイ『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社)がベストセラーになる。困難を抱えた若い女性や少女たちを支援する「若草プロジェクト」の理事も務めている
前編はこちら(この記事は後編です)
好きなことがその人の才能、何歳になろうが見つかります
瀬尾まなほさん(以下、まなほさん):先生はよく、「続けられることも才能だ」と言います。瀬戸内寂聴さん(以下、寂聴さん):そうです。そもそも好きなことでなかったら、ものごとは続けられません。ですから続けられるということは、それだけでそれが好きだということであり、それがその人の才能なのです。子どもであれば、とにかく好きなことを見つけてやることです。それが、その子どもの才能です。どうせやるなら才能を育てたほうが成功します。
まなほさん:でも、才能を持っていたとしても、成功するかしないかはその人次第ということはありませんか?
寂聴さん:本当に好きなことであれば、おそらく成功するでしょう。
まなほさん:一に才能、二に才能、三、四がなくて、五に努力でしたっけ?
寂聴さん:いいえ、一から五まで全部、才能です。と言うか、そもそも何の才能もない人などいません。人間には、必ず何らかの才能があります。それを見つけてくれる人が近くにいるかどうかで、ずいぶん違います。
例えば、お母さんやお父さんが子どもの才能を早く見つけてくれれば、それだけ早く道が開けるでしょう。逆に見つけてくれる人がそばにいなければ、なかなか才能を見つけてもらえず、それを開花させるのが遅くなるでしょう。ですが、いずれにしろ、才能が何もないという人はまずいません。
まなほさん:自分で自分の才能に気づくことはできますか?
寂聴さん:それは好きなことです。好きなことが才能です。最近はどうかわかりませんが、そろばんが好きという子どもがいたら、それだけで才能です。将棋が好き、囲碁が好き、それも才能です。毎日、野山を駆け回ったり、運動で飛んだり跳ねたりしているのが好きだというのも全部、才能です。才能がなければ、そんなことはしません。負けて泣いたり、投げ飛ばされてケガをしたりしながらでもやっているじゃないですか。それも結局は好きだからであって、それが才能なのです。
まなほさん:ということは、好きなことを見つけるのが一番大事だということですね。
寂聴さん:本当に好きなことは、無理に見つけようとしなくても自然に湧き出てくるものです。気がついたら、それをしています。それを親が「そんなことをしたらケガをするからやめなさい」とか、「やってもムダだからやめなさい」とか、いらないことを言うからダメになります。好きでやっているのなら、そのままやらせておけばいいのです。
でも、本当に好きなことでなければ、いくらやってもダメです。子どもを育てるときは、子どものやることをジーッと見ていて、この子はこれが好きだとわかったら、それをやらせてあげればいいと思います。
まなほさん:先生も書くことが好きだったから、こうしてずっと書くことを続けていられるのですか?
寂聴さん:そうです。今の若い人は知らないでしょうが、私が小さいころは「つづり方」という作文のような授業がありました。それが小学二年生のときからありました。私は最初から、そのつづり方の成績が一番でした。だから好きだったのです。もちろん、最初のうちは自分にそうした才能があるかどうか、自分ではわかりません。でも作文を書いたら、よく先生がほめてくれました。先生にほめられたら、「ああ、そうか、自分はこれが上手なのか」ということがわかります。それで自信がつきます。
ですから、まわりの親や大人は、子どもが絵を描いていたら、「絵ばかり描いていないで」などと言わずに、「あなたは絵が上手ね」とほめてあげればいいのです。そうすれば、その子は絵がますます好きになるし、上手にもなります。
まなほさん:今は子どもについての話ですが、それは歳を取ってからでもいいのですか。歳を取ってからでも好きなことが見つかるし、それがその人にとっての才能になると言えますか?
寂聴さん:言えます。たとえ八十歳だろうが、九十歳だろうが、何歳だろうが関係ありません。いくつになっても好きなことは見つかるし、何歳から始めても遅すぎるということはありません。
何でもいいのです。お料理が好きならお料理、編み物が好きなら編み物、絵が好きなら絵、書道が好きなら書道と、とにかく何でもいい。小説が好きな人なら、大切な思い出を小説にしてもいいでしょう。
人に何を言われようが、年齢なんか気にしないで、自分が好きだと思うことをすればいいのです。そのうち才能が花開くかもしれません。仮に花開かなかったとしても、好きなことを一生懸命やったというだけで生きたかいがあるというものです。好きなことをして自分を幸せにすること、それも立派な才能と言えるかもしれません。
いい波が来たら見逃さずに乗りなさい
寂聴さん:チャンスをつかむということですか?
まなほさん:はい。人生にはいろいろな変化があったり、これはチャンスだと思う瞬間があったりすると思います。先生は以前、「いい波が来たら、それを見逃さずに乗りなさい」と、私に言ってくれました。世間でも、「幸運の女神には前髪しかない」とか、「チャンスの女神には後ろ髪がない」などと言われています。
寂聴さん:そうした波を見逃さないで、それにしっかり乗ることも才能の一つです。
まなほさん:そもそも、いい波が来ているかどうか、それが自分にとってチャンスなのかどうか、それを見極める方法というものはあるのですか?
寂聴さん:それも、その人の才能です。わかる人には、パッとわかります。
まなほさん:それは努力ではない?
寂聴さん:はい。努力とは違います。
まなほさん:あとは行動力ですか。そのときに、思い切って「エイッ」と踏み出す行動力……。
寂聴さん:行動力とか、そういうものでもないような気がします。もうそうせざるを得なくてするという感じではないでしょうか。
まなほさん:いい波が来ていることが仮に才能でわかったとしても、そこで「いいのかな?」、「悪いのかな?」と考えていたら、あっという間にその波が通り過ぎてしまうこともあると思います。だから思い切りではありませんが、やはり大胆な行動力も必要だと思います。
寂聴さん:だから、チャンスだと思ったらパッとつかまえなくてはなりません。
まなほさん:先生のことを見ていて思うのは、行動力があるということです。何に対してもあまり深く考えずに、とりあえずやってみるという姿勢で、自ら人生を切り開いてきたのではないかという気がします。
寂聴さん:失礼なことを言いますね。
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