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- 2022/10/27 掲載
『初音ミク』は過去にない“キャラビジネス”と言える理由、凄すぎる経済規模とは
連載:キャラクター経済圏~永続するコンテンツはどう誕生するのか(第5回)
どうやって初音ミクは誕生したか
『初音ミク』とは、アニメや漫画などのキャラクターではなく、コンピューターに自身の作った楽曲を歌わせるソフトウェアのことであり、その楽曲を歌うソフトウェア上のキャラクターである。同ソフトウェアは、2003年にヤマハが開発した「VOCALOID(通称ボカロ:PCで人間の音声を再現する)ソフト」を軸にして作られた。もともとPCで再現されていた(人間の声のような)音声の部分を、声優・藤田咲氏の声をベースにした合成音にアレンジして作られたのが初音ミクというわけだ。これを手掛けたのが、札幌にあった当時社員20名前後の中小企業クリプトン・フューチャー・メディア(CFM)社だ。
約1.5万円の同ソフト1本買えば、どんな音程の曲でも初音ミク(声優・藤田咲氏)の声で歌わせることができる、画期的なソフトであった。初音ミクの登場以来、ギターやドラムなどあらゆる音色の音楽合成ソフトがある中でも、「ボカロ」は常に市場の2~3割を占めてきた“重要な楽器の1つ”である。
初音ミクの登場以前から「DTM(デスクトップミュージック)」としてPCの力で音楽をつくってきた職人たちは、初音ミクの登場以降、「ボカロP(ボカロ曲を制作して動画サイトに投稿する音楽家)」と呼ばれるようになる。米津玄師(ボカロ名:ハチ)を代表に、yama、くじら、YOASOBIのAyaseもボカロP出身のアーティストである。
ボカロという音楽合成ソフトに「キャラ」をつけて売り出したのは初音ミクが初めてではない。日本で初めてボカロにキャラ設定を付けたソフト『MEIKO(メイコ)』は、初音ミク発売の3年前に同じくCFM社から売り出されており、通常の音楽合成ソフトのヒット作基準である1000本の3倍も売れている。その後、男性キャラバージョンのソフト『KAITO(カイト)』を売り出すも販売本数500本と伸び悩み、女性の声のソフトのほうが需要は高いことが分かる。
そこで、「声優」という新しいジャンルを取り入れつつ、有名な絵師KEIを起用したキャラクターデザインも入れ込み、2007年8月末に販売開始された初音ミクは、約半年で3万本という大ヒット作となった。とはいえ、まだこの時点は3万人の楽曲製作ユーザーが生まれたに過ぎない。
初音ミク「過去にないキャラクタービジネス」と言えるワケ
初音ミクは、それまで半世紀かけて培われてきたキャラクターづくりのセオリーを完全に外していた。なぜなら初音ミクは、誕生直後から現在に至るまで改変・改修・デフォルメされた数十万種類ものイラストと楽曲が「勝手に使われてきた」からだ。それはストーリーやキャラクター性などを持たずに誰の隣にも居心地よくおさまる『ハローキティ』のような世界観重視のキャラとも違うし、次々と公式がキャラを量産していく『アイドルマスター』とも違う。「勝手にユーザーが創り、勝手に構想を広げ、勝手に盛り上がっていく」という、かつてない“キャラクタービジネス”と言えるのだ。
難しいのはCFM社の立ち位置である。初音ミクは当然ながらCFM社のものであり、使われる度にロイヤリティを請求するのが通常である。だが、初音ミクはすでにソフトを販売しており、それによって「勝手に使われる」ことが使用の根幹にある。さらにリリースして数週間もしないうちに、誰かが二次利用で描いた絵・作った曲が、勝手に三次・四次利用されるというクレームもCFM社に殺到し、ユーザー同士でのいさかいも起きていた。
こうした状況に対し、CFM社のとったやり方は画期的なものだった。「ネットに分散しているクリエイター同士がお互いの得意なコンテンツ(音楽、歌詞、イラストなど)を投稿し合い、協業して、新たなコンテンツを生むための"創造の場"」として、公式サイト『Piapro』を作ったのだ。
このサイトでは、ユーザー全員が非営利で、利益は求めないという特徴がある。ただ、盗用・盗作にならないよう、どこまで改変して良いかを二次“創作者”が決めて、三次・四次で利用する人はそこに挨拶コメントを入れて、借りていくという仕組みになっている。このサイトは初音ミク発売後3カ月の2007年12月にはリリースされている。
初音ミクの大成功に欠かせない「ニコニコ動画」
初音ミクはキャラクタービジネスの文脈よりも、テクノロジーやアート界隈での文脈で語られるほうが適切かもしれない。このキャラクター史に名を残す異端のキャラの成功には、2006年12月にリリースされていた動画配信サービス「ニコニコ動画(以下、ニコ動)」の存在が欠かせない。このサービスはドワンゴ(1997年設立、2003年上場)創業者である川上量生氏と、1999年に日本最大級の電子掲示板サイト「2ちゃんねる」を生み出した“ひろゆき”こと、西村博之氏が結びつくことによって生まれたものである。
上場企業のドワンゴは、多くの訴訟問題を抱えていたひろゆき氏との付き合いを嫌がる証券会社・株主からの視線を避けるべく、子会社という形で西村博之氏の頭文字の「に」をとってニワンゴを設立した(ドワンゴ75%、2チャンネルの運営会社をしていたひろゆき氏が役員の未来検索ブラジルが20%出資)。
何のサービスをやるかが決まっていたわけではないが、ガラケー向けの着うた・着メロ市場が突き当りとなって、創業初の赤字に苦しんでいたドワンゴ川上が「何かサービスを作らないと」という焦りから生まれたのが、(非同期でも参加でき、コメントが入れられる)バーチャルライブ事業のニコ動である。
2006年12月にサービス開始するも、許可なくYouTube(2005年2月開始)の動画を引用し、勝手にコメントを入れて展開するという荒っぽい運用方法をとった結果、3カ月でグーグルからBanをされ、急遽自分たちで作り直すという、不安いっぱいの船出であった。当時について、音楽ゲーム「BM98」の開発者として知られるプログラマー やねうらお氏は「(ドワンゴもニコ動も)海に出た瞬間、沈んでたはずの泥船だった」と表現している(注1)。
当時からニコ動は独特な立ち位置にあるサービスであった。たとえば、動画を視聴しているユーザーの視聴画面が(Youtube広告のように)勝手にゲームに切り替わり強制的に参加を強いられる「ニコ割ゲーム」と呼ばれるものがあった。これは、強制参加させられたゲームに優れた点数でクリアすると、その直前に視聴していた動画の内容とともにランキングとしてユーザーアカウントがさらされる仕組みであった(恥ずかしい動画を見ていた人は赤っ恥を食らった経験も…)。また、突然時報がわりこんできて「ニッコニッコ動画~♪」と誰の得にもならないCMが流れることもあった。
さらに、「ニコニコ動画のすべて(だいたい)を地上に再現する」ということコンセプトとした毎年開催される「ニコニコ超会議」と呼ばれるイベントは黒字になったことがない。そもそも、荒削りのベータ版サービスだから、つっこまれても「しょうがないよね」のゆるさを表現するために、当時はやっていた消費者金融のニコニコローンからモジった冗談のようなネーミングとアイコンで始まったサービスがニコ動だった。
「理解されがたいものを作る」「儲かるとか市場規模ではなく、壮大な物語になるものをつくる」「突っ込みどころの多いUIにしていく」──。YouTubeはじめ世界のテックサービスを牽引するGAFAとは対極的な設計思想を持つニコ動は、川上氏やひろゆき氏の個人的志向も存分に反映しつつ、日本独特の「ネット民」カルチャーを育てていった。これが初音ミクをインキュベートした最初のファンベースである。
【次ページ】ニコ動の会員急増? ネット民の象徴・初音ミク効果とは
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