• 2026/03/06 掲載

手塚眞が語る「父・手塚治虫」にまつわる伝説の真相、息子も驚く“天性のスゴイ能力”(2/3)

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人気停滞? 厳しい時期の「手塚治虫」の原稿料事情

──中学生時代から3000ページものマンガを描き、1946年の17歳でデビュー。トキワ荘に入った24歳の時には(1953年)もう、関西長者番付の画家部門でトップ。戦後からずっとマンガ業界の最先端にいた治虫さんは1968年頃からの劇画ブームで一時期よりは人気が落ちついていったと認識しています。

手塚氏:マンガ業界が大きくなってくると、出版社としては「原稿料が安くて済むリーズナブルな若手マンガ家」の方が扱いやすくて、そちらに手を伸ばし始めるんです。

 そうなると、だんだん大御所マンガ家になっていた父の仕事は減っていき、特集とか、部分的な仕事だけの依頼になっていくわけです。本人も本人で、これまでの自分の作風にマンネリを感じるようになっていたのでしょう、鬱々としていた時期だったと思います。


──この1968~1973年頃の期間は相当悩まれていたんじゃないかと思います。ただ一方で眞さんの手記を見ると、「悩んでいる姿を見せなかった」と言ってますね。

手塚氏:そうですね、まあ悩んでいると言えば悩んでいるんですが、いつも悩んでいるのが当たり前の中で、あの時代に関しても、取り立てて父が大きく落胆したり、泣き言を言うような場面は見ませんでしたね。当時は、仕事が厳しかった時期でもあったとは思うのですが、母とは相談していても、子供には絶対にこぼさなかった印象があります。

──そこから『ブラック・ジャック』(1973年)や『三つ目がとおる』(1974年)の名作が続々生まれていきます。ちなみに治虫さんは巨匠になっても原稿料を上げずに安いままで書いていた、という噂がありますが、これは本当なのでしょうか?

手塚氏:変な癖があるんですよね…。「自分は短い時間でいっぱい書ける実力があるから、そんなに高い原稿料じゃなくたって引き受けます」と意地を張るんですよ。

 その本人の変なプライドが、周りのマンガ家さんにも影響しちゃうんですよね。「手塚先生がこの値段でやっているのだから、原稿料上げられない」といったことになってしまうわけです。

 マンガ家の原稿料とアニメーターの給与と、この業界の待遇がしばらく低いままになってしまったのは、そうした父の意地から始まっていると言ってもいいかもしれません…。

 それでも一応、(1973年に借金を背負うことになりますが)本人の頭の中では原稿料の算出基準みたいなものはあったみたいです。こうやったらできるなという算段の基に、原稿料もアトムのアニメ制作費も提案していました。

努力では得られない…手塚治虫の“先天的なある才能”

──原稿料や制作費の制約の中で生まれたのが、「リミテッドアニメ」ですね。たとえば、1話約22分の作品をつくる場合、ディズニーのようなフルアニメーションでは2万枚近い作画が必要だと言われています。それに対してリミテッドアニメでは、同じ絵を何コマも使い回したり、「止め」や「引き」といった演出上の工夫を取り入れたりすることで、作画枚数を2000枚以下にまで抑えました。こうした“省エネ”の手法によって制作されたアニメは、「毎週30分番組を1本ずつ作るなど想像もできなかった」(大塚康生『作画汗まみれ』)と言われた時代において、まさに画期的な“発明”だったと思います。

手塚氏:本人は「バンク(同じ素材を繰り返し使う)システム」と呼んでいました。一度使った背景画などを再利用するという発想自体は良かったと思います。

 ただ、セル画はどんどん増えていきますし、それを棚にしまっておくだけでは、いざ使い回そうとしたときに探し出すのが大変でした。しかも、描く場面が変われば、そのまま使えるケースは意外と少なかったと思います。

 結果的に、時間の節約になるどころか、管理の手間が増えてしまい、思ったほどの効果は上がっていなかったように感じますね。


──そこからギャグやアクションではなく、ストーリーで見せていくアニメが始まり、「ジャパニメーション」の創造はまさしく治虫さんからはじまりました。父親の「天才的な感覚」を、息子として実感することはありましたか?

手塚氏:視覚記憶と聴覚記憶は間違いなく天才だったと思います。あれだけ何万枚も原稿を描いてきて、どの原稿のどこに何を描いたか、みたいなことを全部覚えてるんですよね。それにパッと見たものをそのまま記憶しているんですよね。

 読書も驚くほど速くて、1冊を3分ほどで読んでしまうんです。ある編集者の方から聞いた話ですが、新連載の打ち合わせに早く着きすぎて近くの本屋に立ち寄ったところ、打ち合わせのテーマになっている本を立ち読みしている手塚治虫を見かけたそうです。

 よく見ると、本のページを右上から左下へ指でなぞりながら、単語を目で拾うようにして、パラパラとすごい速さでページをめくっていた。そして本当に、1冊を3分ほどで読み終えてしまったそうです。

 「そんなスピードで読めるはずがない」と思っていたところ、その後の打ち合わせで、「本で読んだ内容」をすらすらと話し始めた。編集者の方はそこで本当に驚いた、ということでした。

 しかも、ただ記憶力が優れているだけではないんです。覚えたことを次々に応用していくので、頭の中の“引き出し”の数は相当なものだったと思います。

 それに聴覚記憶も同じくらい凄かったですね。父はコンサート行くと、初めて聞いたクラシック音楽でも、家に帰ってきてその曲を独学で覚えたピアノでいきなり弾けちゃうんですよ。そういう才能はやっぱりとんでもなかったなと思います。

手塚治虫の才能はどこから? DNA鑑定の結果とは…

──やはり、普通の人とは何か違う能力を持った方だったのですね。

手塚氏:過去に一度、「手塚治虫のDNAを調べる」というプロジェクトがある企業であったんですよ。父のメガネや帽子、皮膚の断片からDNAを再現するといったね。ただそれだけの情報だと穴だらけの塩基になってしまうので、血縁関係にある子供3人からもDNAを採取して、その系統だての中でほぼ本人を再現したと言える遺伝子情報を割り出すことができたんですよね。

 ところが遺伝子上は、少なくともたんぱく質の配列を見る限りは「普通の人と何も変わらない」という結果だったんです。

 たしかに父の弟妹には、特に傑出した才能があった人がいた、というわけじゃないんですよ。妹(僕の叔母ですね)は音楽をされていましたが、天才と言われるほどの成果を残したわけではない。祖父や祖母も普通の人です。祖先までさかのぼれば立派な成果を残した人もいますけど、「天才の家系」と言えるものじゃなかったわけです。 【次ページ】800年もの歴史がある? 手塚家は“ある職業の家系”
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