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- 2016/03/23 掲載
セガサミーとニトリ、破天荒な昭和の大物経営者が若い世代の起業家に伝えたいこと
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破天荒な昭和の起業家が事業をスタートさせた理由
セガサミーの里見氏は、上場企業の役員として常にトップクラスの報酬を手にしている起業家として知られている。一方、似鳥氏が束ねるニトリの業績も好調で、29期連続の増収増益という快進撃を続けている。新経済連盟の代表理事を務める楽天 三木谷 浩史氏は、両者が創業した当時の経緯について問いかけた。
里見氏は、大学時代に池袋でバーを始めたり、ジュークボックスやゲーム機のリース業をしたり、社会に出る前から商売に精を出していたが、それが現在の事業につながったという。なぜ里見氏は就職しなかったのか? 同氏は中学・高校のころから先生に反抗する学生で、無期停学になるなど、相当やんちゃな青春時代を送ったそうだ。
「当時からサラリーマンの世界は無理だと感じていた。そのため自分で何か事業をやるしかないと考えていた。大学4年のとき、セガの前身にあたる会社でトップセールスを取り、ご褒美に銀座に連れて行ってもらった。昭和38年ぐらいの話で、新卒の給料が約2万円のころのこと。当時の社長が非常に羽振りがよく、1万円のチップを渡しているのを見て、これは凄いと感じた。そこで給料なしで半年ほど仕事を手伝わせてもらい、商売のイロハを覚えて、23歳で独立した。その後、何度か大きな失敗を経験し、ピンチもあったが、現在に至っている」(里見氏)
ニトリホールディングスの似鳥氏は、大学卒業後に父親の土木業を手伝っていた。だが仕事が大変きつく、交通広告を扱う会社に転職したという。しかし世の中そう甘くない。ノルマが月に50万円もあり、何度もクビになりかけた。そこで何とか生きていくために、自分で商売を始めることにしたそうだ。では何をやるのか? 当時は、まだ家具屋が少なく、競争相手がいなかった。そこで家具屋なら食えるだろうと始めたのが現在の会社だった。
「そうはいっても、まったく知識がなかったため、やはり上手くいかなかった。ほとんど売上もなく、4か月間もインスタントラーメンでしのいだら、血を吐いてしまった。従業員を雇っていたが、賃金も支払えない。そこでお見合い結婚をして、夫婦で商売を始めた。身内なら給料を払わなくていいからだ。幸い妻に接客の才能があり、ようやく家具屋で食えるようになった。自分は対面恐怖症気味なので仕入れや配達を行ったが、今にして思えばそれがよかった。だんだん仕事も覚え、商品の売れ筋もわかるようになり、仕事がうまく回るようになった」(似鳥氏)
【次ページ】 手形詐欺に巻き込まれ4億円の損失、結婚直後に倒産
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