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日本は諸外国と比較して、もはや教育にお金をかけない国となっているが、これが経済に与える影響は深刻である。教育への投資は、中長期的な成長を担保するものであり、このままの状態が続くと、日本経済の低迷は半永久的なものになる可能性すら否定できない。
差が付いているのは高等教育
日本はかつて教育熱心な国と言われてきた。だが今となっては、完全な幻想となっている。OECD(経済協力開発機構)各国における公的教育支出のGDP(国内総生産)を比較すると、日本は37カ国中36位とまさに致命的な状況になっている。
豊富な天然資源を有する特殊な国を除き、国民の教育水準の高さが成長に寄与することは自明の理であり、教育に対する投資を怠れば、ほぼ確実に成長が阻害される。図1は各国の成長率と公的教育支出のGDP比を比較したものだが、両者には一定の相関関係が認められる。
統計学的に相関関係があるからといって、因果関係が成立するとは限らないが、教育と産業活性化の関係がほぼ確実であることを考えると、一定の因果関係があると考えるのが自然だ。どの程度の寄与度になるのかは別問題として、日本が教育への投資をおろそかにしていることで成長を犠牲にしているのはほぼ間違いない。
では、日本は諸外国と比較して、具体的にどの部分への投資が疎かになっているだろうか。
日本の教育投資、どの領域が足りてない?
昔から日本は識字率が高く、義務教育の水準が高いことはよく知られてきた。もっとも近年は、タブレットやPCをフル活用し、教育内容を時代に合わせて変えていく動きが各国で顕著となっており、その点において日本はすでに出遅れた状況にある。だが最低限の義務教育がどれだけ国民に徹底されているのかという点では、日本は諸外国と比較して特段、劣っているわけではない。
日本の教育投資において、諸外国と最も大きな差をつけられているのは高等教育に関する部分である。もっと具体的に言えば、教育に対する個人負担の額が高すぎて、多くの人が十分な大学教育を受けられない状況となっているのだ。
高等教育における家計の負担割合を比較すると日本は7割近くに達しており、典型的な自己責任社会である米国に近い水準となっている。つまり、日本では高等教育の学費のほとんどを自己負担する必要があり、逆に言えば、世帯に負担能力がなければ大学に進学できないことを意味する。
一方、ノルウェーやフィンランド、デンマークといった北欧諸国では家計の負担割合は10%程度、もしくはそれ以下となっており、高等教育を受けるにあたって家計はほとんど費用を負担する必要がない。ドイツやフランスなど西ヨーロッパ各国も、若干、比率が上がるものの、やはり20%以下がほとんどであり、家計の負担は極めて少ないと考えて良いだろう(図2)。
アングロサクソン圏では、大学進学には経済力が必要だが、豊富な奨学金制度が用意されているほか、(その善し悪しは別にして)民間の教育ローンも豊富であり、経済力の乏しさをカバーする制度がそれなりに整っている。日本の場合、アングロサクソン圏並みに自己負担が求められる一方、支援策も乏しく、大学教育は完全に豊かな世帯だけが享受できるものとなりつつあるのが現実だ。
かつて大学教育というのは特別な人だけが受けるものだったが、産業の高度化が進んだ現代において、大学教育はかつての高校教育と同じと考えるべきである(かつて米国では兵士になるのに学歴は問われなかったが、大学に進学できる程度の教育水準がないと一兵卒としての採用も難しくなっている)。
話を整理すると、日本と諸外国の教育投資の違いは、大学教育の無償化の有無に大きく左右されていると考えるべきであり、これが日本の成長の足を引っ張っている。
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