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  • 2026/01/23 掲載

『北斗の拳』原哲夫に聞いた「スゴイと思った13人」、名前の挙がった意外な作家とは…

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『北斗の拳』の原哲夫氏はいかにして唯一無二の作家となったのか。赤塚不二夫、さいとう・たかを、池上遼一、堀江信彦など──名だたるクリエイターや編集者との出会いが、その歩みを大きく方向づけてきた。多彩な才能から受けた刺激を糧に、原氏はどのように自身のスタイルを築き上げたのか。その軌跡を、原先生に伺った。
聞き手・執筆:エンタメ社会学者 中山 淳雄

エンタメ社会学者 中山 淳雄

東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在し、日本コンテンツ(カードゲーム、アニメ、ゲーム、プロレス、音楽、イベント)の海外展開を担当する。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、シンガポール南洋工科大学非常勤講師も歴任。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。『推しエコノミー「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)、『オタク経済圏創世記』(日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書)など著書多数。

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『北斗の拳』の作者・原哲夫氏に、影響を受けた作品・人物について聞いた

「劇画」に夢中になったキッカケは?意外な“あの作品”

──いつ頃から絵を描き始めたのでしょうか?

原哲夫(以下、原)氏: 物心が付く頃にはすでに絵を描いていました。我が家は少し厳しい家庭でマンガは禁止だったので、小さい頃は郵便受けに入っているチラシの裏に『タイガーマスク』の絵を模写していました。

──原先生は1961年生まれですが、世代的に「週刊マンガ誌」が流行していた頃でしょうか。当時は、そうした週刊マンガ誌に夢中だったのでしょうか?

原氏: どちらかと言うと、自分はマンガの“ド世代”というわけではないんです。アニメなどをTVで観るくらいで、マンガ雑誌を読むことはありませんでした。最初にマンガを手にしたのも小学校2年生の頃、クラスメイトの女の子から『おそ松くん』(週刊少年サンデー、1962年~1969年連載)の単行本を1冊もらったときですかね。

 当時はカラーアニメが1番だと思っていて、マンガに夢中というわけではなかったんです。「白黒で止まっている絵じゃ物足りない。絵はカラーで動いているからこそ良さがある」という風に考えていました。けれども、『おそ松くん』を通して、マンガは動画的に読むことができるものであると知りました。

──意外にもマンガで育ったわけではないのですね。

原氏: ただ、そうした中でも、ハッと自分を動かす“絵”に出会ったのも覚えています。それが、『天才バカボン』です。これが、マンガのおもしろさと同時に、自分が最初に衝撃を受けた、いわゆる劇画タッチの絵でした。

 バカボンは、ギャグマンガですが、たまにバカボンのパパが突然劇画タッチになるコマが挟まれています。劇画タッチのコマを見て、なぜかリアルな描き込んだ絵に魅了されたんです。

 この「バカボンの劇画」が最初にマンガを模写しはじめたきっかけです。そしてその頃(小学校2~3年生)にはもう、「将来は漫画家になろう」と決めていました。

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漫画家
原哲夫(はら・てつお)氏
1961年9月2日生まれ、東京都渋谷区出身。漫画家。高橋よしひろ氏のアシスタントを経て、小池一夫氏主催の劇画村塾にも参加。1982年に『鉄のドンキホーテ』で週刊少年ジャンプにて連載デビュー。1983年より武論尊氏とタッグを組み、『北斗の拳』を連載開始し大ヒットを記録。80年代のジャンプを代表する作品となり、アニメ化や映画化も複数回実現した。1990年代以降は『花の慶次 ―雲のかなたにー』や『蒼天の拳』など多彩な作品を手掛ける。漫画家としての活動の他、コアミックスの設立に関わり、取締役として版権管理やアニメ制作にも携わる。

──マンガをあまり読まないマンガ家志望とは…(笑)。当時の原先生の心を捉えたのは、ストーリーではなく「絵としてのマンガ」だったんですね。ご両親は「漫画家」を目指すことに対して反対はしていなかったのでしょうか?

原氏: 小学校低学年の時点で、僕の頭の中には将来サラリーマンになるという選択肢はありませんでした。

 父親は銀行の秘書課のドライバーで、いつもパリっとしたスーツを着て朝早く出勤して夜遅くに帰宅する。その姿を見ながら「すごいな」と感じつつも、自分自身は満員電車で通勤する働き方はしたくないという想いもあったんです。

 とにかく漫画家になる、という選択肢が頭にあったわけですが、両親とも、そうした目標に反対はしていませんでした。おふくろは、「あんた、絵ばっかり描いているから」って、僕に『マンガ家入門』の本を買ってくれたりしていましたから、反対されていたという記憶はないですね。

──テレビっ子だったということですが、当時どのような番組にハマっていたのでしょうか?

原氏: アニメは、『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』『天才バカボン』です。幼少期は、『マグマ大使』『ジャングル大帝』『鉄人28号』が好きでした。映画は、『兵隊やくざ』やマカロニ・ウエスタン、『ピノキオ』など。日曜にテレビで放送される映画を父と一緒によく観ていました。

 それと、小学校の頃は『仮面ライダー』(1971年~1973年)にもハマっていました。仮面ライダーには毎週新しい怪獣が登場するのですが、当時、テレビの番組制作の仕組みを理解していない自分は、それを見ながら「マンガ家さんって毎週新しい怪人や怪獣のアイデアを考えて描かないといけない仕事なのか」と思っていましたね。

 それを受けて、「いまから考えておかないと間に合わない。やらないと」と思って、毎日怪獣を考えて自分で描くということもやっていましたね(笑)。

 小学校4年生からは、『太陽にほえろ!』です。やがてブルース・リーの映画にも夢中になりました。テレビっ子だったと言っても、我が家は夜20時以降テレビ禁止。なんでも好きな番組を好き放題見られたわけではありませんでした。

どこで学んだ?原氏の「絵の描き方の基礎」が形成された背景

──美術や絵を正式に学んだ時期があったのでしょうか?

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