- 2026/08/27 06:10 掲載
登録者18万人…YouTube大成功の山田玲司が「岡田斗司夫」から学んだ“稼ぎ方”
東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在し、日本コンテンツ(カードゲーム、アニメ、ゲーム、プロレス、音楽、イベント)の海外展開を担当する。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、シンガポール南洋工科大学非常勤講師も歴任。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。『推しエコノミー「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)、『オタク経済圏創世記』(日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書)など著書多数。
連載終了で借金も…? 再び訪れた「闇の時代」の絶望
──2010年代はどういう時期でしたか?山田玲司(以下、山田)氏:『絶望に効くクスリ』(以下、絶薬)の連載が終了してしまい、どうしようかな、という時期でした。色々な企画を立ち上げて『モーニング』(講談社)や『チャンピオン』(秋田書店)に持っていきましたけど、どうもうまくいかない。
アル・ゴアの『不都合な真実』(2006年)から僕も猛然と気候変動に危機感を持って動き出すんです。そうして『ココナッツピリオド -地球温暖化を止めるウサギ-』(2008~2009年、『ビッグコミックスピリッツ』連載)を描いたりするんだけど、それもコケて、再び闇落ちする時代に突入しますね。ちょうど東日本大震災のあった時期ですね。
──すでにヒット作を何本か出している状態でしたけど、それでも「生活の安定」はしないものなんですか?
山田氏:食えない時代は、貯蓄でギリギリつなぎながら、負債を抱えてもギリギリで返済して、みたいな綱渡り状態です。その後、拾ってもらった『美大受験戦記 アリエネ』(2011~2014年、『ビッグコミックスピリッツ』連載)も、タイミングが悪かったですね。この時期は僕自身がエンタメをやる精神的な余裕がなかったんだと思います。
気がついたら「芸術家の本質的な悩み」みたいな重いテーマに突入してしまう。僕は美大受験に疑問を抱いているので「絵の技術を上げて合格を目指す!」みたいな漫画を描きたくないんです。「何がアートか?」みたいな本質論にいってしまうので普通の人はついていけない漫画になってしまっている。
どうしようとじたばたしてました。そんな折に、岡田斗司夫さんに番組に呼んでもらったんですよ。
ニコ生の“帝王”岡田斗司夫に救われた? YouTube誕生の裏側
──山田さんが2014年にYouTubeをはじめたのは、岡田斗司夫さん(ゼネラルプロダクツ・ガイナックス創業者)がキッカケと聞きました。岡田さんとは、どこで出会ったのでしょうか?山田氏:絶薬(著名人にインタビュー取材を行い、そこで聞けた生き方のヒントを紹介していくエッセイ漫画)で取材をしたのが最初です。取材の後に、「また会おうよ!」とお声がけいただき、そんな縁で岡田さんの番組に呼んでもらいました。本当に久しぶりの再会でしたね。
当時、岡田さんはニコ生(ニコニコ生放送)で岡田帝国を築かれていて、彼はご自身のチームで映像配信もやっていたし、絶好調だったと思います。大阪芸大の客員教授もやっていらしてね。
その番組に出た際、「山田くんもやんない? ここでやったらいいじゃん」と言われて、岡田さんにスタジオも撮影スタッフも貸してもらって始めたんですよ。それが2014年頃でした。動画の前半無料・後半は有料版、という何年もかけて練り上げた岡田さんのマネタイズのメソッドを、そのまま当てはめて継承させていただいているので、感謝してもしきれないですね。
でも、翌年の正月にいきなり岡田さんの身に、あのスキャンダル騒動が起きたんです(注1)。彼自身も入院するような騒ぎになって、岡田さんは会社を辞めてスタジオから身を引くというので、『ヤングサンデー』はかつての岡田斗司夫ゼミのスタッフさんに支えられて続いていったわけです。
漫画の戦い方は江川達也さんに学びましたし、ネットでの生き方(YouTube)は岡田さんに学びました。それぞれオタク第一世代の大成功をしている先輩が僕の上にいてくれたこと、その出会いこそが僕の最大のラッキー(成功要因)ですね。
コンテンツ・エンタメ・文化芸能・スポーツのおすすめコンテンツ
コンテンツ・エンタメ・文化芸能・スポーツの関連コンテンツ
PR
PR
PR