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  • 2019/06/20 掲載

ジョブズが営業上手だったら、ピクサーは日本企業になっていた?

その時、歴史は動かなかった

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富士フイルムと米国ゼロックスの合弁会社である富士ゼロックス。今から30年ほど前の1987年、この会社は世界の歴史を変えるかもしれない重要な瞬間に直面していた。スティーブ・ジョブズからのピクサーへの出資提案があったのだ。あの日、あのとき、何かが少し違ったら、今頃ピクサーは日本のアニメ業界を牽引していたのだろうか? 『トイ・ストーリー4』は邦画になっていただろうか? 1970年代から富士ゼロックスに在籍した2人の元社員の証言から、歴史が動きそうで動かなかった瞬間を振り返る。

聞き手:編集部 佐藤友理

聞き手:編集部 佐藤友理

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ピクサーに出資してくれる企業を探していた当時のスティーブ・ジョブズ。握手しているのは当時富士ゼロックスに所属し、米ゼロックスPARCで研究にいそしんでいた舘野昌一氏。シャッターを切ったのは佐藤博氏

1980年代のゼロックスPARC、そして富士ゼロックス

 米ゼロックスの「Palo Alto Research Center」(以下、PARC)といえば、パーソナルコンピューターの原型や、GUI、マウス、LAN(Ethernet)、非同期通信(Remote Procedure Call)、レーザープリントなど、現在のITを支える基礎技術が産声をあげた研究施設として知られている。思想面でも、アラン・ケイが「ダイナブック構想」を提唱するなど、後世に多大な影響を与えた。1979年にアップルのスティーブ・ジョブズがPARCに訪れ、それが契機となって、MacintoshにGUIが採用されることになったのは有名な話だ。

 元富士ゼロックスの舘野昌一氏は、1987年から約3年間、PARCで駐在員として働いていた。

「PARCが開発したハードウェア・Dolphinを商品化した富士ゼロックスの“1100SIP”(Scientific Information Processor)に、プログラミング言語LISPを拡張したプログラミング言語(Interlisp-D)を日本市場で展開するため、PARCにいました」(舘野氏)

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元富士ゼロックス 舘野昌一氏。PARCで計算言語学(日本語処理)の研究を行った。現在は、データ分類や解析の仕事に従事

 同じく元富士ゼロックスの佐藤博氏は、1976年に富士ゼロックスの研究部から企画部へ異動し、新規事業を担当していた。ちょうど日本が世界経済を席巻する時期と重なり、社会学者のエズラ・ヴォーゲルが『Japan As Number One』刊行した頃のことだ。佐藤氏は「とても景気が良かったので、年4回ぐらいは米国に出張していました。COMDEX(かつてラスベガスで開催されていたコンピューター関連の展示会)などの展示会を視察したり、現地で最新情報の収集に明け暮れたりする毎日でした」と振り返る。

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元富士ゼロックス 企画部 佐藤博氏。現在はPENDROID代表として、手書きロボット『PENDROID』を使ったサービスを開発中

 1980年代の富士ゼロックスといえば「J-Star ワークステーション」(米国のXerox Star)を世に送り出すなど、当時の最先端をひた走る代表的な日本企業の1つだった。1982年には通産省が音頭を取り、こういった企業とともに「第五世代コンピューター」(人工知能)の開発を先導した。そういう背景もあり、その後も同社では高機能なワークステーションを発表していた。

「アニメ会社」になる前、資金難に陥っていたPIXAR

 実は、今回の本題はここからだ。

 1987年、投資銀行のモルガン・スタンレー・インベストメント・マネジメントから、富士ゼロックス本社に一通の手紙が届いた。内容はピクサーへの出資の誘いだった。提案者はスティーブ・ジョブズ。もともとピクサーは、当時アップルを退社したジョブズがルーカスフィルムから買収した会社だ。

 いまでこそピクサーは、『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』『ファインディング・ニモ』などの映画が大ヒットして有名になっているが、まだ当時はCGアニメ制作すら本格的に始めていなかった。主に政府機関や医療機関などをビジネスの対象とし、「Pixar Image Computer」(PIC)というCG制作などに使える高性能画像処理コンピューターを開発していたが、PICは売り上げに繋がっていなかった。

 話を元に戻そう。ジョブズからのピクサーへの出資提案は、当時の富士ゼロックス本社で企画に携わっていた佐藤氏が対応することになった。そこで同氏は渡米して、すでにPARCに駐在していた舘野氏と合流し、ピクサーのオフィスを訪ねたという。

「まだピクサーは、ルーカスフィルムから独立したばかりでした。ジョブズからも出資してもらっていたものの、資金が枯渇していたのです。事業コアも絞り込めておらず、CGアニメの制作ではなく、画像処理コンピューター(PIC)を開発中の段階でした。そこでジョブズとしては、このPICを使って、何か用途を開拓し、売り込もうとしていたようです」(佐藤氏)

 その頃のピクサーは、レンダリングソフトの「RenderMan」や、Photoshopの前身となる画像処理ソフトなども開発しており、社内では何か新規事業をやろうという機運はあったようだ。

“ジョブズ不在”の残念なデモ

 佐藤氏と舘野氏がピクサーに視察に行くと、そこにはエド・キャットムル(ピクサー共同経営者、現ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ 社長)、アルヴィー・レイ・スミス(ピクサー共同経営者で、CGアニメ界のレジェンド)といったそうそうたる面々がそろっていた。

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当日佐藤氏が受け取ったエド・キャットムルの名刺(左)と、アルヴィー・レイ・スミスの名刺(右)
(注:編集部の方で電話番号を消している)

「しかしそのときはジョン・ラセター(元ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ CCO、『トイ・ストーリー』などをヒットさせた)と、スティーブ・ジョブズは用事で席を外しており、この会合には出席していませんでした」(佐藤氏)

 まず彼らは、ピクサーの先端技術のデモを両氏に見せた。それを見た佐藤氏は、思いがけずズッコケてしまったという。自分たちが期待していた技術とはまったくかけ離れたものだったからだ。

【次ページ】ピクサーが見せた、期待外れの先端技術とは?

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