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- 2026/01/07 掲載
【衝撃告白】峠の釜めし6代目が明かす“借金地獄”の真実…それでも140年続いた秘密
フリーのテクニカルライター。コンシューマからエンタープライズまで、初心者向けの記事からテクニカルな解説記事、広告記事、企業取材記事などを手がける。執筆した書籍はこれまでに約80冊。オールアバウトでは「パソコンソフト」「ワード(Word)の使い方」「MS Officeの使い方」のガイドもつとめる。2008年からWordカテゴリーでのMicrosoft MVP。
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「日本最古の駅弁屋」の波乱万丈な歴史
今から140年前の明治18年(1885年)創業の荻野屋は、「日本最古の駅弁屋」として知られる。その駅弁が、陶器の器に入った「峠の釜めし」だ。全国的に高い知名度を誇るが、特に関東近辺には、そのなつかしい味になじみを持つ方々が多いだろう。その荻野屋の代表取締役社長が、6代目となる高見澤 志和氏である。「もともとは温泉旅館を営んでいたのですが、信越本線の開通に合わせて横川駅の近くに移転し、(当時国鉄だった)JRの構内営業権を取得して、駅弁販売を始めたのが始まりです。その後、大きな戦争などによって厳しい経営が続きましたが、4代目の高見澤 みねじが昭和32年(1957年)に開発した『峠の釜めし』が大ヒット、現在の礎ができたのです」(高見澤氏)
当時、冷たいのが当たり前だった駅弁において、保温性の高い益子焼の土釜を用いるアイデアは画期的だった。温かい食事は旅人の心身を癒やし、瞬く間に評判となる。昭和天皇への献上や週刊誌での特集も相まって、「横川と言えば釜めし」という不動のブランドを確立した。単なる弁当屋の枠を超え、旅の思い出そのものとして人々の記憶に刻まれていったのだった。
その後、モータリゼーションの発達や観光ブームの波をとらえてドライブイン事業にも参入、事業拡大を図ってきた。2003年、父親である忠顕氏が急逝したことを受けて、高見澤氏は急きょ荻野屋に入社することになる。
ところが入社後に判明したのは、会社の危機的な状況だった。 【次ページ】入社して愕然…明らかにおかしかった「借入金の多さ」
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