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  • 2017/01/12 掲載

元「クローズアップ現代」キャスター 国谷裕子氏が「ダイバーシティ」に出会うまで

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1993年から23年間続いたNHKの報道番組「クローズアップ現代」。そのキャスターを務めた国谷 裕子氏は、「女性活躍」が叫ばれるいま、注目されている。同氏は、米国の名門ブラウン大学を卒業し、プロクター&ギャンブル(以下、P&G)に入社。米国、日本でキャスターとして活躍し、華々しい経歴を築いてきたように見える。しかし、男性中心の組織構造の中で仕事に邁進することで、「ダイバーシティの必要性」に気づけなかったという。社会に問題提起するキャスターとしての自身の経験を振り返りながら、国谷 裕子氏が日本で広がる男女格差を分析し、ダイバーシティのあり方を語る。

フリーライター 中村 仁美

フリーライター 中村 仁美

大阪府出身。大手化学メーカー、日経BP社、ITに特化したコンテンツサービス&プロモーション会社を経て、2002年、フリーランス編集&ライターとして独立。現在は主にIT、キャリアというテーマを中心に活動中。IT記者会所属。趣味は読書、ドライブ、城探訪(日本の城)。ネコと歴史(古代~藤原時代、戦国時代)好き。

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元NHKクローズアップ現代キャスター
国谷 裕子氏


「クローズアップ現代」が「女性と経済」を扱わなかった理由

 「クローズアップ現代」が扱うテーマには壁を設けておらず、国際、政治、文化もスポーツも来るもの拒まずで、社会のあらゆる問題を取り上げてきたという国谷氏。同番組のキャスターとして、日本にどうイノベーションを起こすか、日本の競争力をどうすれば高められるか考えてきたが、「その答えはなかなか見つからず、暗い気分で担当していました」と振り返る。

 そんなとき、経済産業省から1本の電話がかかってきた。日本で開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で「女性と経済」をテーマとした国際会議をするので、そのモデレータを務めて欲しいという依頼の電話だった。

 世界中から女性政治家、起業家、行政担当者が集まり、熱い議論を戦わせていたその会議で、女性が活躍している企業の方が「イノベーションが生まれる」ことや「競争力がある」こと、「男性にとっても女性にとっても働きやすい環境が生まれている」ことを国谷氏は学んだ。

「目からウロコが2枚も3枚も落ちるような思いでした。それと同時に、どうしてこれまでクローズアップ現代で女性と経済というテーマを取り上げてこなかったのかと、考えました。答えは簡単でした。クローズアップ現代の番組を担当する決定権のあるポジションに女性がいなかったからです」(国谷氏)

国谷氏が男性中心の職場で「悪いロールモデル」になるまで

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 NHKは産前産後休業・育児休業制度はもちろん、短時間勤務制度は子供が小学3年生まで利用できるなど充実しており、「働く女性にとっては恵まれている」と国谷氏。しかし、徹夜も当たり前の報道の現場ではなかなか生き残っていくことができず、「子育てをしながら活躍している女性が少なく、提案もなかった」と語る。

 会社としても育休から戻ってきた女性に対して、「こっちの職場の方がお迎えにも行けますよ」「ワークライフバランスがとれますよ」と他部署を勧めるため、報道の現場に戻って来ない人も多かったのだという。

 国谷氏は、そんな男性中心の職場で、「ガムシャラに働いていた」女性の1人。だからこそ、「他の女性に『あんな働き方はできない』を思わせる悪いロールモデルだった」というのだ。

 ではなぜ、国谷氏はそんな働き方をしていたのか。その背景には、クローズアップ現代のキャスターに抜擢されるまでのキャリアが大きく関係している。

 国谷氏は米国ブラウン大学を卒業後、P&Gに就職。化粧石けんのマーケティングを担当していたという。しかし石けんを1個でも多く売ることにやりがいを感じられず、1年で退職。その後、帰国子女としての英語力を生かして、翻訳の仕事をしたり、同時通訳の学校に通ったり、さらには報道のリサーチなどの手伝いをしながら過ごしていた。

 転機となったのは、結婚を機に米国での生活が始まったことである。国谷氏はNHKのリサーチャーとして報道に関わるリサーチや通訳を務めることになった。すると、ニューヨークにあるNHKアメリカ総局からテレビ出演の誘いがあった。

 国谷氏「私は帰国子女で日本語もあまりうまくなく、日本のこともよく知りません。とても務まりません。無理です」と強く断ったが、NHKの担当者は引き下がらなかった。

 NHK担当者は「誰も見ていないから大丈夫」と言った。実は、国谷氏にオファーされたのは、当時試験放送が始まるBS放送の番組。しかも国谷氏が担当する時間帯は午前3時だったという。それを聞いて国谷氏はキャスターを引き受けることにした。

 こうして国谷氏のキャスターとしてのキャリアが始まった。半年が経った頃、今度は東京にあるNHKの本部から総合テレビで始まる新しいニュース番組に誘われた。夫が先に日本に帰っていたこともあり、総合テレビの21時台というプライムタイムのニュース番組の国際担当キャスターの仕事を引き受けることにした。

「視聴者の反応がゼロの番組から、毎晩、何百万人もの人が見るような番組のキャスターになるという無謀な決断でした」(国谷氏)

 渋谷にあるNHKの放送局に足を踏み入れた途端、国谷氏は後悔した。同じNHKでも牧歌的だったアメリカ総局とは異なり、日本のNHK放送センターは張り詰めた空気が漂っていた。

 「私たちが作る新しいニュース番組を素晴らしいものにしないといけないというエネルギーに満ちあふれていた」と国谷氏。キャスター経験の浅い国谷氏はそのプレッシャーで押しつぶされそうな毎日を送っていたという。

 「緊張で言葉が出てこなかったり、ニュースをどう咀嚼してよいかわからず、毎日何百万人の前で不本意なパフォーマンスをしていた」と語る。その結果、期待に応えることができず、半年でキャスター職を降板、その後、海外リポーターを務めたが、それも半年で降板することになった。

「電車にも乗れない、道を歩くのも下を向いてしか歩けない。そんなすごい挫折を経験しました」(国谷氏)

【次ページ】国谷氏が「ダイバーシティ」の必要性に気づけなかった理由

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