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  • 2017/03/13 掲載

被災から6年、山内鮮魚店が「全員解雇」のどん底から復興した独自のIT活用法

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創業は1949年。宮城県の港町、南三陸町で生まれた山内鮮魚店を営むヤマウチは、高度成長期、バブル期、その後の経済低迷期をも生き延びてきた。そのすべてを洗い流してしまったのが、今から6年前、2011年3月11日に起こった東日本大震災に伴う津波だ。店舗も工場も事務所も海辺に構えていた同社は、文字通りゼロからの再スタートを余儀なくされた。今ではかつての常連も戻り活況を呈しているという同社の復興の道のりを、山内鮮魚店店長である山内 恭輔氏に聞いた。

フリーライター 重森 大

フリーライター 重森 大

メインの活動フィールドはエンタープライズ向けITだが、ケータイからADCまでネットワークにつながるものならなんでも好きなITライター。現場を見ることにこだわり、毎年100件近い導入事例取材を行ってきた。地方創生の機運とともにITを使って地方を元気にするための活動を実践、これまでの人脈をたどって各地への取材を敢行中。モットーは、自分のアシで現場に行き、相手のフィールドで話を聞くこと。相棒はアメリカンなキャンピングカー。

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東日本大震災からおよそ6年。ゼロからの再スタートをきった山内鮮魚店はいかにして復興を果たしたのか

従業員全員を解雇、ゼロからの再スタートを余儀なくされたヤマウチ

 2011年3月11日。海のすぐ近くにあったヤマウチの工場からは、尋常ではない景色が見えていた。沖に向かって恐ろしい勢いで引いていく海、普段は見えない生みの底が、むき出しになっていく。それを目にした経営陣の判断は早かった。

「これはとてつもない津波が来る──今すぐ全員職場を離れて、家族を連れて高台へ!」

 数十分後、山内氏は緊急避難先である高台の学校校庭から、津波が街に押し寄せるのを見ていた。カメラマンでもある山内氏は、偶然ポケットに突っ込んだままだったカメラでその景色を収めた。「自分たちの会社が流されたなんて現実感はなく、映像を見ているようだった」と、写真を見ながら当時を振り返る。

 素早い判断が幸いして、従業員の人的被害はゼロ。それぞれの避難所に散り散りになった従業員をひとり、またひとりと探し訪ねて携帯電話のメールアドレスを集めて回り、全員の無事を知った時には大きな安堵を覚えた。しかし一方で、自社に置いてあったサーバや顧客データのバックアップディスクなどは一切見つからなかった。店舗も通販も、すべてゼロリセットされてしまったのだ。

「ヤマウチの今後を決めるために、一度だけ従業員たちに集まってもらいました。全員から言われたのは、一度解雇してほしいということ。残りたいという人がいれば支えなければという覚悟はありましたが、国の補償などにより安定した生活を求める従業員の意見を尊重しました」(山内氏)

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ヤマウチ 専務取締役/山内鮮魚店 店長
山内 恭輔氏

 被災を理由に職を失った者には、国からの保証金が支払われた。すべてを流されてしまった会社よりも、国からの補償の方が確実には違いない。その気持ちを優先し、一度全員を解雇しつつも、山内氏は諦めなかった。必ず、全員再雇用する。再び立ち上がった時には力になってくれ。従業員とはそう約束したという。

システム再構築を計画中の被災、約11万件の顧客データも消失

 ヤマウチは1949年から鮮魚店を営んできたが、現社長である山内 正文氏が水産加工、通信販売と事業を拡大。仕入れから選定、加工、出荷までを自社工場で行ない、加工品であっても高品質な商品を提供。1990年から始めたカタログ通販は2005年にはEコマース分野へ拡大。自社サイトのほか、楽天市場やYahoo!ショッピングにも出店して順調にファンを広げてきた。通販事業が繁忙期を迎えるのは、お中元とお歳暮の時期。品質に満足した客が贈り物に使うためだ。

「今でも覚えていますが、2010年の12月はとても忙しく、人もシステムも限界に来ていました。出力した伝票を整理している1時間くらいの間に、新たな注文が100件増えているような状況だったのです」(山内氏)

 このままでは次の繁忙期を乗り切れないかもしれない。そう感じた山内氏は、一年で一番時間に余裕を取れる春先を狙ってシステム再構築を計画した。年明けから数社に問い合わせ、新システムについて見積もりを取り、大掛かりな刷新を行なう予定だった。顧客データもクラウドにバックアップできるようにするつもりだったという。

「その矢先だったんです。作り変えるつもりのシステムが、サーバごと流されてしまいました。バックアップもクラウドに移行する前だったので、約11万件の顧客データはDVDに保存したまま。これも見つからずじまいです」(山内氏)

 事業すべてが一度白紙に戻ったが、悲壮感はなかったと当時を振り返る山内氏。「やらなきゃいけないことはいくらでもあった、忙しい日々だった」と言う。その意欲と行動力を総動員し、実に半年足らずで新店舗での営業再開にこぎつけた。当時はスーパーマーケットなども再開していなかったため、鮮魚店と看板を掲げつつも日用品など扱えるものは何でも販売したという。近くに避難している人たちにとって、どれだけ助かったことだろうか。

 さらに、高台に建設途中だった冷凍施設の工事も再開。一部計画を変更して、施設の一角に加工場と事務スペースを確保した。300種類を数えたかつての品揃えは望めないものの、B2Bの海産物加工品卸事業を再開したのは2013年になろうというところだった。事業を復旧するたびに、かつての従業員を呼び戻して再雇用、ヤマウチは徐々に復興に向かい始めた。

「並行してB2Cの通信販売も再開したんですが、売るものがない状況が続いていました」(山内氏)

 仕入先の養殖業が復旧するまではまだ時間がかかる。事業再開から出荷までにはさらに1年ほどの時間が必要だ。その間は天然物しか扱えず、その水揚げさえも安定しなかった。

【次ページ】空白期間を“好機”と捉え、自社ITシステムを抜本的に再構築

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