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- 2018/09/05 掲載
アカデミー映画から学ぶ米金融の「モラルと虚実」 信用が借金の担保になるワケ
珠玉のアメリカ金融映画3作品
いずれも血湧き肉躍る一級のエンタテインメントにして、胸が締めつけられる人間ドラマ。決して、知識詰め込み型の退屈な「お勉強映画」ではない。
『ウォール街』が描く時代は1985年。証券会社に勤める営業マン・バド(チャーリー・シーン)が、成り上がりたいばかりにカリスマ投資家ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)と取引し、ゲッコーの指示でインサイダー取引に手を染めてしまう物語だ。
全米公開は1987年12月、すなわち1987年10月に起きたNY証券取引所における株価の大暴落・ブラックマンデーより後だが、映画が製作されたのはそれ以前なので、劇中にブラックマンデーの描写はない。
『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』は実在の元株式ブローカーであるジョーダン・ベルフォートの自伝を元にした作品で、主に描かれる期間は1987年から1990年代全般。2001年にドットコムバブルが弾ける少し前までの話だ。
ジョーダン(レオナルド・ディカプリオ)は大手証券会社に入社した直後、ブラックマンデーに遭遇して失職。株式仲買人を経て、自らの株式仲介会社を立ち上げる。90年代アメリカのバブリーな株式ブームを背景に、ジョーダンが投資詐欺やマネーロンダリングで荒稼ぎしていく物語である。
『マネー・ショート』で描かれる期間は、2005年3月からリーマン・ショックが発生して金融市場が崩壊した2008年9月まで。マーケットの異変に誰よりも早く気づいた少数の投資家や銀行家たちが、周囲の反発に屈することなく大胆に逆張りし、リーマン・ショックによって大儲けする物語だ。
いずれの作品も多少の金融専門用語が登場するが、実はそれほど気にしなくてもよい。「すぐれた麻雀マンガや将棋マンガは、ゲームのルールを知らなくても楽しめる」のと一緒。歌にたとえるなら、歌詞の意味ではなく語感や旋律を賞味する快感に満ちている。
しいて言うなら、『ウォール街』では「インサイダー取引」、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』では「IPO(新規上場株式)」と「未公開株」、『マネー・ショート』では「サブプライムローン」と「空売り(ショート)」という用語だけを、前もってググっておけばOKだ。
ゲッコーに憧れたアメリカ人
『ウォール街』公開当時、米国の観客が魅力を感じたのは良心の呵責にさいなまれる主人公のバド……ではなく、利益追求のためなら情け容赦ないマネーの鬼、ゲッコーだった。当時のアメリカは貿易赤字に悩まされており、世界に冠たるアメリカの威光は既に失墜。観客にとってゲッコーは「経済的に強いアメリカ」の象徴であり、怠慢な企業の経営陣を華麗に糾弾する彼は頼もしい存在として映ったのだ。劇中でゲッコーが口にする「株式会社USAを立て直す力」には、悪役であることを超えた求心力が帯びていた。
嘘か真か、アメリカでは『ウォール街』の影響で、ゲッコーに心酔して投資銀行への入社を希望する者が増えた……という話もある。その少し後の時代を描いた『ウルフ・オブ・ウォールストリート』では、主人公のジョーダンが「伝説のゲッコーだ」と称されてもいた。少なくとも80年代末から90年代前半の米国金融業界において、ゲッコーはダークヒーロー的なアイコン扱いだったということだ。
興味深いのは、各作品における顧客、つまり株を買ったりローンを組んだりする一般客の描かれ方の違いである。
『ウォール街』における顧客は、「証券マンに無理を言って損失の責任を押し付ける嫌な金持ち」として悩みのタネ扱いされている。しかし『ウルフ・オブ・ウォールストリート』では立場が逆転。「少しでもいい暮らしをしようと、なけなしの金で株を買う庶民」をジョーダンが詐欺的トークでカモる構図となっている。
『マネー・ショート』では「とにかく無学で情弱な市民」がマネーゲームの犠牲者であり、そこには詐欺的トークすら必要ない。なぜなら、彼らに無茶なローンを組ませるシステムそのものが、情弱を食い物にするよう、うまいこと出来上がっているからである。
【次ページ】3者3様、金融マンたちのモラル
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