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  • 2019/08/28

【5分で振り返る】小売業界の近代史 牧歌的な時代はどう終わったのか

デジタルの進展、消費者の購買行動の変化、サプライチェーンの複雑化と大規模化、日本の少子高齢化──さまざまな要因にさらされて小売業界は今、大きな変革の時代を迎えている。この荒波を乗り越え新たなビジネスモデルを練るために、日本の小売業界はどのような変遷をたどり、その都度どのような戦略を採ってきたのか、今こそ振り返ってみよう。

ゴードン・ブラザーズ・ジャパン 堀内秀晃

ゴードン・ブラザーズ・ジャパン 堀内秀晃

1987年京都大学経済学部卒業後、住友銀行入行。1991年より2005年まで同行ニューヨークにて勤務。与信審査、シンジケーションを担当、部門長として、事業再生、問題債権処理ならびにDIPファイナンス等の再生ファイナンスを手掛ける。2005年に帰国後はプライベート・エクイティ・ファンドの投資を担当。2007年より2015年までGEキャピタルにて、ABLを用いた事業再生ファイナンスを担当、米国型ABLを日本に導入する。2015年より現職。動産の評価、融資、換価案件のソーシングを担当、マーケティングの責任者。

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激動の小売業界、その変遷を改めて振り返る
(©pagnacco - Fotolia)

今、小売業界の戦略を見つめ直す意味

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 近年、日本の小売業は大きな転換期を迎えていると言える。

 従来型の販売モデルは、小売店舗に消費者が出向き、そこで店員による説明やサービスを受けて、商品を購入し、自宅に商品を持ち帰るというものだった。

 今の消費者の購入手法としては、店舗での購入に加え、PCやスマートフォン(スマホ)を使ってインターネットから購入することも広く行われるようになっている。購入した商品も店舗から消費者が持ち帰るほかに、購入者の自宅に配送される、ネットで購入した商品を最寄りの店舗などで購入者がピックアップするなど、多岐にわたる時代になった。

 業態も、以前はリアル店舗とこれを有さないEコマース(EC)との対決構造だったが、いまや両者の融合が始まりつつある。また、以前は小売業といえば企業が消費者に新品の商品を販売するB2Cモデルと考えられていたが、最近はメルカリのように中古品を扱い、消費者どうしをつなぐC2Cのプラットフォーマーという業態も注目されるようになってきた。

 そこで、小売業界の戦略やビジネスモデルを振り返ることで、今後の小売業界が注力しなければならない課題について考える契機としたい。

複数の卸売り段階と小規模店舗の時代

 筆者が幼少期の半世紀前は、小売店舗と言えば、小規模な商業施設の一角にあるおもちゃ屋が目に浮かぶ。5坪程度の狭い店内に所狭しと並ぶプラモデル。店舗にはいつも店主が1人いて、商品の説明をしてくれるというサービスはあったが、店舗面積が狭いこともあり、当然ながら品ぞろえは少なかった。

 夢中になった有名プラモデルメーカーの名前はいまだに記憶しているが、当時はそのプラモデルがメーカーから小売店舗に並ぶまでに、名前を知らない卸売業者を何社かを通っていることは知らなかった。

 おもちゃ屋を例に取ると、米トイザらス(Toys“R”Us)が日本に進出してくるまでは、日本の小売業者は数の面では少人数の店舗がほとんどだった。その小売店舗に商品が並ぶまでに、メーカーから広域を担当する一次卸、狭い地域を担当する二次卸、さらに狭い地域を担当する三次卸を通り、その過程で各業者が利益を少しずつ取って行くというビジネスモデルであった。

 しかも、小売店舗は「系列」と言われるメーカーの代理店のような位置づけで、他のメーカーの商品を扱わず、勝手な値引き販売はできず、メーカー希望価格で販売するという、まさに予定調和のなせる日本型ビジネスモデルであった。

 そして、小売業は少額の資本で開業しやすいことから、退職時のセーフティネット的な役割を演じていたとも言われている。そこには厳しい競争もなく、各プレーヤーが利益を案分するシステムが内包されており、小売各社による競争戦略はなかったと言えよう。

 このような閉鎖的な日本のシステムにおいて、小売店舗の店主が商工会議所や商工会の有力メンバーで、政治的なパワーを有しており、小売店舗は、スーパーなどの大型商業施設の出店をけん制する目的の大規模小売店舗法(大店法)によって法的にも保護されていた。

大規模店舗による多彩な品ぞろえとコストリーダーシップ戦略の時代へ

 日本の小売業の閉鎖的システムに最初の風穴を開けたのは米国の政治的圧力で、その象徴的企業がおもちゃ小売チェーンの米トイザらスであった。

 大型店舗の進出による既存の小売店舗への影響が問題視されたが、こういった保護政策は、米国から「非関税障壁」と批判された。同社は苦労の末、1991年の年末に茨城県稲敷郡阿見町に荒川沖店を日本1号店として開店することとなり、以降、スーパー、ショッピングセンター、百貨店のテナントとして出店を重ねた。

 メーカーから直接仕入れた大量、多品種の商品を大規模店舗にてセルフサービスで販売するという、それまでの日本の小規模なおもちゃ屋とは対極をなすビジネスモデルを用いて拡大していった。

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大型店舗の進出が小規模な店舗を追い詰めていった
(©pagnacco - Fotolia)

 この競争戦略は米国発のコスト削減による低価格戦略、いわゆるコストリーダーシップ戦略であり、これによって、周辺の非効率な小規模小売業者が影響を受けることになった。スーパーでは西友に出資したウォルマートもこの戦略で有名である。業態としては「100円ショップ」がこの戦略を採っている。

 そして、インターネットの発展が小売業の絵図を大きく変容させた。

【次ページ】ECの台頭と小売店舗苦戦の時代

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