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  • 2017/11/28

職場でも家庭でも役に立たない「#うちのインティライミ」を撲滅する方法

Twitterで、ハッシュタグ「#うちのインティライミ」が沸騰している。人気ドラマ「コウノドリ」の中で、俳優のナオト・インティライミ氏が出演、そこで発したセリフが、世の母親たちの逆鱗に触れ、「公開処刑」さながらの「うちのインティライミ大発表会」が始まったのだ。議論のテーマは「夫による『家事育児手伝う』発言」。基本的には善意の言葉である「手伝う」がなぜ相手に違和感、不快感を与えるのか? そこには、職場においても慎重に取り扱うべき「手伝う」と「任せる」の心理学についての学びがある。

人材・組織コラムニスト 後藤洋平

人材・組織コラムニスト 後藤洋平

1982年大阪市生まれ。東京大学工学部システム創成学科卒。在学中は東大ブランドショップ立ち上げに参加など活動多数。卒業後はコンサルティング会社にて数々の新規事業立ち上げに参画。「どうして売れるルイ・ヴィトン」「挑戦者の本能と時間との競争」等、著書多数。『予定通り進まないプロジェクトの進め方』(宣伝会議)が発売中。

予定通り進まないプロジェクトの進め方
・著者:前田考歩、後藤洋平
・定価:1,944円 (税抜)
・ページ数:256ページ
・出版社: 宣伝会議
・ISBN:978-4883354375
・発売日:2018年3月28日

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#うちのインティライミは家庭・職場から撲滅できるのか?
(画像:いらすとやの画像を編集して使用)


「オレも育児手伝うよ」が広げた波紋

「オレも育児手伝うよ」

 これは昨今の世相を表す名(迷?)ゼリフだった。

 人気ドラマ「コウノドリ」の第一話および第三話である。このストーリーの主人公は、高橋メアリージュン氏演じる育児ノイローゼに苦しむ妻であり、ナオト・インティライミ氏の役は、その夫で子どもが生まれたばかりの父親だ。その彼が、この非常に無神経なセリフを発した。

 育児は想像をはるかに超える大変な仕事だ。子どもを産んで主婦になることを選ぶ女性もいるが、早く会社に復帰して活躍したいと切に思う人もいる。その一方でプレッシャーとなるのが、親や同僚など、世間が発する、やんわりとした「女性はやっぱり子どものそばにいるべき」という価値観。

 産む前は、あんなに楽しみにしていて、あれだけ欲しいと思っていた子どもなのに、いざ産んでみると、子育ては心の負担でしかない。むしろ社会的な自己実現を妨げる「壁」に見える。

 こうした子どもを持つ女性の声を象徴するかのように、メアリージュン氏はクライマックスとなる場面で「子どもがかわいく感じられない」というセリフを発した。

 社会通念上、幼い子どもを持つ親は、絶対的にそんな発言をするべきではない。しかし、育児の現実とは、ありとあらゆる心理的プレッシャーと体力的消耗の連続である。もちろん子どもがかわいいと感じる瞬間はたくさんあるが、それを超えて有り余る疲労がセットになっていることを、現在子育てをしている筆者自身も知っている。

 「子どもがかわいく感じられない」の言葉は、疲労感と不安のなかで、ふと心のなかに生まれる。同時に、本当にそれを口にしてしまうと、自分は親失格、いや人間失格となってしまうのではないか、という恐怖が沸き起こる。

 「子どもがかわいい」と思いたいのに、そう思えなくなる自分の心。本作においてはこの「本音」と「恐怖」の相剋の描き方にリアリティがあった。

 そこで妻が切実に求めるのは、ともに「子育て」という重大任務にあたる、「もう1人の当事者」であるはずの「夫」の活躍である。

「手伝う」=「それはオレの仕事ではない」

 「オレも育児手伝うよ」という発言は、絶妙だ。

 「手伝う」という表現は、「その労働は本来自分の仕事ではないが、私がやってあげる」という「善意」によって成り立つ。言い換えれば、夫が持って当然の子育てに対する「当事者意識」が、綺麗さっぱり存在しないことを表現している。

 さらにドラマのなかでは、「オレも育児手伝うよ」が口先だけでは言う夫は、妻の苦悩に気づきもしない、指一本も動かさない。

 現実に、こういうことがあったそうだ。Twitterで「#うちのインティライミ」のハッシュタグを見せられた夫が、「世の中こんなひどい人がいるんだね」と一緒になって憤慨した。しかしその彼もまた、「家事育児を手伝うとは、口先ばかりの、何もしない夫」だった・・・。

 これはまだいい方で、このハッシュタグに対する一連の反響を見ても、「え? 何が問題?」と論点を理解できない男性もまだまだいる。

「手伝うよ」は相手を失望させるだけ

 このように口先だけの「手伝う」は、当事者同士の信頼関係に大きな影を落とす。では、どのような状況であれば、「手伝う」の善意が、善意として成立するのだろうか?

 それは実は、「自分の仕事を、自分が大変なときに、助けてもらった」という状況でしかない。それ以外は、いかなる場合に発しても効果を発揮しない、言うなれば「地雷原ワード」なのであった。

 メアリージュン氏が演じた女性は、「子を持つという幸福を手にした人=子育てという自己実現の達成」という周囲からの認識と、「仕事に無事に復帰できるだろうか、子育ては問題なくやれるだろうか、という不安」に引き裂かれていた。

 そこで、まごうかたなき子育て当事者であるはずの夫からのまさかの「手伝うよ」発言。失望と孤独の地獄に突き落とされるような感覚だ。

 これは、あらゆる人にとって対岸の火事ではない話である。

 家事育児の場だけではなく、ビジネスの現場たる職場においても日々発生している。とりわけ、上司と部下の関係性においては極めて慎重になるべき問題である。

 現場で困難に直面している担当者に対して、はるか後方から届く「何かあったら手伝うから、遠慮せずに言ってね」という上司の空手形。そこに発生する「それじゃない感」は、多くの人が経験したことがあるのではないだろうか?

【次ページ】家庭と職場の敵「#うちのインティライミ」を撲滅するには

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