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  • 2019/01/21 掲載

経済×ITの「平成30年史」、産業はどこまで“情報化”したか 篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(106)

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2019年がスタートした。5月からは新元号の時代が幕を開ける。日本のインフォメーション・エコノミーは、平成時代の約30年間、ほぼ10年毎に大きな変化がみられたが、グローバルには、前半と後半の15年間で大変貌を遂げた。今回と次回は、新春特別号として、平成時代を回顧しながら新時代を展望することにしよう。

九州大学大学院 経済学研究院 教授 篠崎彰彦

九州大学大学院 経済学研究院 教授 篠崎彰彦

九州大学大学院 経済学研究院 教授
九州大学経済学部卒業。九州大学博士(経済学)
1984年日本開発銀行入行。ニューヨーク駐在員、国際部調査役等を経て、1999年九州大学助教授、2004年教授就任。この間、経済企画庁調査局、ハーバード大学イェンチン研究所にて情報経済や企業投資分析に従事。情報化に関する審議会などの委員も数多く務めている。
■研究室のホームページはこちら■

インフォメーション・エコノミー: 情報化する経済社会の全体像
・著者:篠崎 彰彦
・定価:2,600円 (税抜)
・ページ数: 285ページ
・出版社: エヌティティ出版
・ISBN:978-4757123335
・発売日:2014年3月25日

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「平成の30年間」で何が進化したのか
(©Andrey - Fotolia)

平成元年のインフォメーション・エコノミーとは

 平成の元号が始まったのは今から30年前の1989年1月だ。それからのインフォメーション・エコノミーは、1990年代、2000年代、2010年代と10年毎に3区分することで、その変遷をうまく跡付けることができそうだ。

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(表1)平成時代の三期区分とIT
(出典:筆者作成)

 平成元年のオフィスでは、ワープロ専用機が幅を利かせていて、パソコン(PC)ですら、一部のマニアを除けば、一般にはそれほど普及していなかった。

 当時の日本はバブル景気の真っただ中だ。その経済力はジャパン・アズ・ナンバーワンと世界からも驚異の目で見られていたが、企業人の名刺に記載されていたのは、電話とFAXの番号だけだ。

 インターネットや携帯電話は、日常のビジネスシーンではまったく使われておらず、情報通信といえば、大型コンピュータと交換機網による専用線が主力の時代だった。

第一期 PCとインターネットとケータイ

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 ところが、それから10年で状況は一変した。1995年には、Internet Explorerを標準装備したWindows95がリリースされ、爆発的人気となった。日本では「インターネット元年」と呼ばれることもあるほどで(注1)、一般家庭でもPCが身近な存在になった。

注1:実際には、1990年に解散したARPANETがNSFNET(1986年構築)に引き継がれていく過程で、インターネットへの加入制限が緩まり、1991年に商用の相互接続を可能にするCIXが設立されたことで、それまで学術・国防に限られていたインターネットの商用利用が事実上解禁されたころから、一般の利用が進んでいた(詳しくは篠﨑[2003]第4章第4節[pp.67-70]参照)。

 1990年代の後半になると、オフィスでは「1人1台のPC」を目指す動きが主流となり、名刺には電話とFAXの番号に加えてe-mailアドレスが記載されるようになった。

 携帯電話が一般に普及し始めたのもこのころだ。日本で移動体通信(=自動車電話+携帯電話)のサービスが開始されたのは1979年のことだが、1989年(平成元年)3月時点の加入者数はわずか24万人に過ぎなかった。

 1992年には、ドコモの前身となる移動体通信の事業部門がNTTから分離されたが、携帯電話市場の将来性は、それほど有望視されてはいなかった。というのも、携帯電話サービスは、高価な贅沢品の一種で、誰もが利用できるものではなかったからだ。

 当時、携帯電話を利用するには、加入料の4万5800円に加えて保証金10万円が必要で、月々の料金も基本料が1万7000円、通話は10円で7秒程度しかできなかった。

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平成の「携帯電話」は自動車電話の延長だった

左/日本移動通信 (IDO) から1988年に発売されたショルダーフォンと、1989年に発売されたハンディフォン。中/2004年にツーカーグループから発売された「TK50 (ツーカーS)」。右/1989年にDDI-セルラーグループから発売された、「HP-501 (MICRO TAC)」

(出典:KDDI 報道発表)

 ところが、1990年代半ばからは、技術革新と規制緩和策(端末のレンタル制から買い切り制への変更、新規事業者の参入促進策など)の相乗効果で、アナログ(1G)からデジタル(2G)への転換が促され、料金とサービスの競争が盛んになった。

 通話だけでなく、簡単なメッセージやメロディ、画像も送信できるツールに進化した結果、携帯電話市場は急拡大し、1999年にはPHSと合わせて加入者数が5000万人を突破、もはや「電話」の域を越えた「ケータイ」時代が切り拓かれた。

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(表2) 技術体系のシフトと情報通信市場
(出典:篠﨑 [2008]をもとに一部加筆修正して筆者作成)


第二期(その1)e-Japan戦略とブロードバンド化

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携帯電話小型化の歴史
 さらに10年後の2000年代には、PC、ネット、モバイルの利活用が一気に高度化した。その原動力となったのがネットの高速化(=ブロードバンド化)とモバイルのネット化だ。これにより、ネットと結びついたPCとモバイル端末の利便性が飛躍的に高まった。

 PCとインターネットの利用が進んだとはいえ、1990年代は、専用線が利用できる企業や官庁はともかく、数の上で圧倒的な中小企業や零細な自営業者あるいは一般家庭では、通信速度が遅いダイヤル・アップ接続のナローバンドが主流だった。

 この方式では、通信速度が遅いだけでなく、料金体系も従量制だったため、PCをネットに常時接続させる今のような快適な利用環境からは程遠かった。この状況に転機が訪れたのは2001年のことだ。

 小泉政権下のe-Japan戦略において、高速ネットワークのインフラ整備とその有効な利活用で5年以内に世界最先端の国を目指す、という大胆な目標が掲げられた。その第一歩がADSL市場だ。

 ADSLは既存のメタル回線を使って通信の高速化を図る手法で、整備に時間を要する光ファイバー網(FTTH)が完備するまでの間、前倒しでブロードバンド化を実現するのに大きく貢献した。

 政府は、ADSL市場への新規参入を促進すべく、NTTと競合する新事業者が市内網への接続で不利な扱いを受けないよう、強力に支援する施策を打ち出した。

 郵政省(当時)はNTTに対して新規参入者にアクセス網を開放するよう強く指導し、公正取引委員会は独占禁止法の厳格な運用を行ったのだ(注2)。

 平成13年版『情報通信白書』では、この年を「ブロードバンド元年」と宣言した。

注2:この時の経緯については篠﨑(2003)第11章第6節の脚注57(p.236)に詳しい。

【次ページ】第二期(その2)携帯電話とインターネットの融合

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