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  • 2019/06/15

海外が発見した“想定外”クールジャパン「シティ・ポップ」、熱狂の理由とは

今、外国人の間で「シティ・ポップ」と命名された音楽ジャンルが熱烈な人気を誇っている。シティ・ポップは1980年代の日本のポピュラーミュージックが中心だが、わざわざ日本に来てレコードを収集する人もいるほどだ。シティ・ポップの人気はなぜ発生したのだろうか。新たな「クール・ジャパン」の実態とは。

編集者/文筆家 高橋幸治

編集者/文筆家 高橋幸治

1968年生。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、92年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、95年、アスキー入社。2001年から2007年まで、Macとクリエイティブカルチャーをテーマとした異色のPC誌「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、紙媒体だけでに限定されない「編集」をコンセプトに、デジタル/アナログを問わず企業のメディア戦略などを数多く手がける。国際ファッション専門職大学国際ファッション学部教授。日本大学芸術学部文芸学科および横浜美術大学美術学部美術・デザイン学科非常勤講師。著書に『メディア、編集、テクノロジー』(クロスメディア・パブリッシング刊)がある。

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なぜ日本の80年代ポップが外国人の広まったのか
(Photo/Getty Images)

都内のレコードショップで遭遇した、ある日の不思議なエピソード

 奇妙な感覚や奇異な印象にも必ず理由はあるもので、当初感じた違和感が後々合点のいくことが少なからずある。

 半年ほど前のことだろうか、昔よく通っていた渋谷のレコード店に暇つぶしがてら立ち寄った。かつてダンスミュージックの専門ショップとしてかなり有名だったその店舗は、いつの間にかオールジャンルのアナログ盤を取り扱うショップに様変わりしていた。

 中古の旧盤ばかりでなく、かつての日本の名盤と呼ばれるレコードの復刻なども数多く見受けられ、古き良き時代の文化が継承され続けていることにある種の頼もしさを覚えたのであった。

 同時に、ひとつ驚いたことがある。それは、来店している客のほとんどがツーリストとおぼしき外国人だったということだ。40代前後の男性が多いそうだが、よく見れば20代とおぼしき女性などもいて、その予想もしなかった情景に筆者はしばし呆然としてしまった。

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「昔のコンテンツ」が当時とは違う文脈で掘り起こされる時代だ
(Photo/Getty Images)

 巷間よく言われるレコードの再評価は何も日本に限ったことではなく、海外でも見受けられる傾向だとはそれなりに耳にしていたが、それにしても……である。外国からの観光客がこぞって東京のレコードショップにやってきて、日本の古いアナログ盤を買い漁っているという光景は何とも不思議かつ不可解なものに思えた。

 さらに1年ほど前にも、(今にして思えば)それと大いに関連する驚きの経験をしたことがあった。中野の飲食店で出会った米国・ボストンから来た30代の男性に、訪日の理由を尋ねたところ、「レコードを買いにきた」とのこと。彼は2013年末に急逝した大滝詠一を心の底からリスペクトしており、ナイアガラレーベルの古い音源などを蒐集しているという。

 思い返してみると、海外からやってくる人たちにその理由と目的を訪ね、了承が得られれば彼らの滞在に密着するというテレビ番組でも同じような光景を見たことがある。アメリカ人の男性が大貫妙子の1977年の名盤アルバム「SUNSHOWER」のアナログ盤を求めて都内のレコード屋をめぐるという内容の放送だ。その男性はインターネットで大貫妙子の曲を聴き(おそらくYouTubeだろう)、以来、彼女の熱烈なファンになり、同時に、日本の音楽にも興味を持つに至ったという。

そもそも「シティ・ポップ」とはいかなるジャンルなのか?

 このように「なんだこれ?」という奇天烈な体験が、突如として一点に収束し、「ああそうか!」とすっかり合点がいったのが、昨今の海外における日本の「シティ・ポップ」ブームを知ったときである。

 「シティ・ポップ」とは後年になって命名された音楽ジャンルだから人によってそれぞれ定義の違いはあるもののおおむね、今海外で熱烈に評価されている1980年代の日本のポピュラーミュージックのことをいう。80年代という時代の区切りこれまたおおまかなもので、そこには往々にして70年代後期から90年代初頭までの作品も包含されている。

 音楽の持つテイストとしては、当時、よく「ニューミュージック」と呼ばれていたいわゆるロックともフォークとも異なる(もちろん歌謡曲でもない)、主に都市東京をテーマとした上質かつ繊細な楽曲であり、そのアーティストたちは「シンガーソングライター」と呼ばれる自作の曲を自身で歌い、または演奏するミュージシャンで、マスマーケットにおける大衆迎合主義への抵抗と嫌悪から、ほとんどテレビに出演しないということも彼等を特徴付けるひとつの重要な要素であった。

 そうしたアーティストたちのひとりに竹内まりやがいるが、彼女の1984年のアルバム「VARIETY」に収録されている「Plastic Love」は、「シティ・ポップ」ファンの間でほとんどアンセムと呼んでもいいほどの絶大な人気を誇っており、2017年に第三者がYouTubeにアップした動画は現在2500万回超の再生数を記録している。コメント欄も英語を中心とした外国語で溢れ返っていて、「シティ・ポップ」ブームの加熱ぶりを垣間見るには格好の素材と言えるだろう。ちなみに「Plastic Love」は国内においても長年親しまれ続けている楽曲で、プロデューサー/DJ/トラックメーカーのtofubeatsも同曲をカバーしている。

 こうした現状の後押しもあってのことだろう、つい先頃の5月17日、35年ぶりに同曲の新しい公式のMVが公開された(「新しい」とは言っても、旧バージョンのMVというのはそもそも存在しない)。ちなみに「Plastic Love」のプロデューサーはもちろん彼女の夫である山下達郎だが、彼の人気ぶりも凄まじく、過去のアルバムやシングルがYouTubeにアップされ、やはりコメント欄は外国語による驚嘆と賞賛で埋め尽くされている。

 しかし、言うまでもなく山下達郎をはじめ国外で人気を集めているミュージシャンたちの音源はほとんどファンによってアップされた非公式のものであるため、権利関係上クリアなものではなく、投稿と削除のいたちごっこが繰り返されているものもあり、いちがいに再生数を評価のバロメーターとするのは不適当であるばかりか無意味であるということは付け加えておきたい。

35年ぶりに公開された「Plastic Love」の公式MV

なぜ1980年代の日本=東京が「発見」されてしまったのか?

 さて、こうした現象がなぜ今、引き起こされたのか……ということである。もちろん2005年に開設されたYouTubeの功績が大きいことは間違いないだろう。そこには著作権にまつわる議論や論争が絶えないことはもちろん承知だが、法律的なことはひとまず脇へ置くとして、この世界規模の映像および音楽の共有サービスが、各国の過去の文化資産への自由かつ容易なアクセスに道を開いたことは紛れもない事実である。

 私たちはこのYouTubeのおかげでもはや劇場で公開される機会もなく、あまりにもマイナーなためにDVDにすらならない映画を観たり、発売当時のプレス数が少ない上に今では廃盤になり、中古レコードショップでとんでもない値段がついている貴重かつ希少な音楽を聴いたりすることができる。

 たとえば小津安二郎や溝口健二、成瀬巳喜男などの映画が海外のファンによって多数アップされ、各国語のサブタイトルが付されて鑑賞可能になっていることはいまさら述べるまでもないだろう。音楽についても洋の東西を問わず同様である。

 しかし、今回話題にしている「シティ・ポップ」は以前から海外で耳目を集めていた、いわば評価が定まった、万人によって“アーカイブされてしかるべき”と認定されているような文化資産ではない。ある日突然どこからともなく火の付いた、いわば突発的なムーブメントである。

 したがって問題なのは、インターネットとYouTubeというテクノロジーによってこれまでの未知のものであった文化資産が「発見」されるようになったということそれ自体ではなく、そもそもの疑問として、「発見」されたのがどうしてよりにもよって1980年代を中心とする日本の「シティ・ポップ」だったのかということである。

【次ページ】「シティ・ポップ」の正体とは?

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