「理解しがたい技術」を楽しめる、物語の力
2012年、故米長邦雄前日本将棋連盟会長が第1回電王戦を戦った当時は、コンピュータは本当に強くなったのか、プロを超える可能性はあるのか、という問題提起がメインテーマであった。思えば当時、「プロ棋士の尊厳がコンピュータ将棋ソフトによって傷つけられるか?」というトピックはマニアックなものだった。
が、第2回は48万人の視聴者獲得、第3回は60万人超えという結果を受けて、「コンピュータ将棋が今後も進化を続ける中で、興行としてのプロ将棋は今後いかに理解されていくのか、プロ棋士の尊厳とはいかなるものになるのか」、という問題に、多くの人が関心を持ち始めている。
思えばこの数年間で、「将棋ソフトの開発者」という言葉ほど、世間からの認知度が急上昇した言葉はあまりない。
電王戦以前、「将棋ソフトを開発している人」に対する世間的な認知度は、極小であった。「部外者にはまったく理解できない専門用語を使って、閉鎖的なコミュニティで楽しそうに語らう人々」、悪く言えば「コンピュータおたく」「SFかぶれ」ということで、多くの人にとって理解の外にある存在だった。
「プロ棋士」という職業に関しても、通にとっては大きな権威だったとはいえ、一般的な認知度はあまり高くなかった。例えば第1回電王戦が開催された当時は、筆者自身、「将棋といえば羽生さん」程度の認識しか持っておらず、まさかそれを職業として生活をするプロ選手が100人単位で存在するなど、考えたこともなかった。
それが今となっては、開発者もプロ棋士も、「情報化社会の行く末を占う、最先端で超知的な先覚者」に近い扱いを受けている。
状況を一変させたきっかけは電王戦であるが、その本質は、「物語の力」である。
「プロ棋士も、自分と同じようにそれぞれの人生を歩んでおり、その歩みや言葉にヒントを見出すことができる」
「将棋ソフトの開発者が、その情熱を燃やすのには理由があり、自分と専門性は違えど、高い目標に向かって研鑽を積み、挑戦をする姿には共感ができる」
たったこれだけの補助線によって、「部外者にはまったく理解できない専門用語で語らう人々」が一変して、「自分の人生にヒントや勇気を与えてくれるヒーロー的存在」となったわけである。
しかし、電王戦という番組単体のおかげで、人々の理解がここまで進んだのかといえば、そうではない。ビギナーをその世界の核心部へいざなう「ブランドナビゲーター」の存在こそが、この現象を支えているのである。
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