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- 2013/03/28 掲載
【IT×ブランド戦略(9)】大人向けアンパンマンは成立するか?~ブランドメッセージの「強度」から考える~
「どうして売れるルイ・ヴィトン」の著者が解説
ブランドメッセージと土壌
例えば今現在、NHKでも毎週放送されている「ミッフィー」は知名度の点でもクオリティの点でも、アンパンマンとくらべて遜色ないコンテンツだと言っていいだろう。
そもそも、言っては悪いがアンパンマンは、自分の顔をちぎって食べさせる、異形のヒーローだ。冷静に考えるとちょっとどうかと思う突飛なコンセプトであって、正統派とは言えない。それに比べてミッフィーは可愛いウサギの穏やかな日常を描いた作品でありこれぞ幼児向けという風格すらある。
しかしビジネス的な成功の観点で見ると、アンパンマンの「不動の一位感」と比較すると、ミッフィーはどうしても劣るのであった。ちなみに2011年には商業的価値をランク付けするCharaBizDATAの「キャラクターランキング100」で1位を獲得したとき、ミッフィーは16位だったそうである。
西洋文化を追い続けてきた日本という環境を考えると、むしろ舶来物であるミッフィーのほうが優勢であっても不思議ではない。なぜアンパンマンがこの地位につくことができて、他がそうでなかったのかということはよく考えられる必要があるのではないだろうか。
もちろん、そもそもそのキャラクターの商業展開をどの程度のサイズで行うかという意思決定の問題がある。アンパンマンは有力な玩具メーカーが寄ってたかって新たなキャラクターを生み出している。(現在2200を超えているそうである。)「テレビ発のキャラをディズニーをしのぐ定番に」という明確な意思の力がこの偉業を成し遂げているエンジンとなっていることは間違いない。対してミッフィー陣営は、そこまでの強い意思を持っているようには見えない。
ただし「ブランドを大きくしよう」という意思はあくまで必要条件であって、十分条件ではない。1~3歳児というビジネス環境が極めて良質であることは前回に述べた通りだ。もしミッフィーが強い意志を持ってアンパンマンに負けない戦線をはったとき、果たして太刀打ちできるのだろうか?
ここで、アンパンマンがこの良質なビジネス環境で王者として君臨できているその理由は、その根っこに持っている「ブランドメッセージの強度」ではないか、ということに着目したい。
アンパンマンが誕生した背景には、原作者であるやなせたかし氏の従軍経験があるという。つまり戦争のなかで掲げられる「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感したということだ。戦中、戦後の深刻な食糧事情もあり、当時からやなせは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていた。
多くのヒーローは「正義」を口にして悪を叩くが、飢えや空腹に苦しむ人間へ手をさしのべることはしない。一方、アンパンマンと「正義」というテーマについて語るとき、やなせ氏は度々「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」とインタビューにおいて述べている。
今日のアンパンマン作品において戦争がモチーフとされることはないし、そもそも現場で制作に携わるスタッフ自身、戦争を知らない世代だ。それでもやはり、「自分の身体の一部を割いて飢えている者に与える」という迫力のあるポリシーがそのコミュニティの重心にあるように思える。この重さと引き比べるとミッフィーちゃんには腹の底に落ちるような、訴えかける何かが不足している。単に装飾的な、お洒落なファッションの領域にとどまっていて、腹に落ちてこない。
日本人といえば舶来物であればなんでもありがたがるようなイメージがいまだに絶えないが、必ずしもそうとも言えないということだ。「欧米文化に負けないコンテンツを創造したい」という志、そして「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」という教訓。
このメッセージを突きつけられて否定をできる日本人はそうそういない。これがコミュニティの安定の礎として、人々の心の深みにしっかりと食い込んでいる。
このような、ブランドの根っこにあるメッセージが、そのコミュニティを構成する人々にとってどれくらい自然に受け入れられるかということが、ブランドが大きく育つかどうかの分かれ目になる。強いブランドメッセージを持っているということは、それだけで作品制作においても広告宣伝においても、期待値の形成においても目に見えないメリットをもたらす。
本ブランド論としては、このポイントを精神論的に指摘するだけではなく、例えばブランドメッセージの「強度」という評価軸で数値化・定量化したいものだが、それはまた後日に回すとしたい。
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