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- 2012/08/28 掲載
【IT×ブランド戦略(2)】現代日本における「ブランド」の混乱と凋落
「どうして売れるルイ・ヴィトン」の著者が解説
現代日本におけるブランドの歴史
もちろん、江戸時代とて鎖国していたとは言いながらも、海外との貿易や交易は盛んに行われていて、国際貿易の窓口であった長崎を経由し、将軍や大名が、象やラクダなどの珍獣を輸入した話が残っている。海外から持ち込まれた時計や望遠鏡の類が大名のお気に入りだった、という逸話も珍しくはない。
しかしそのレベルの話はさすがに、現代の「ブランド品」という言葉が対象とするものからは大きく外れる。「ブランド品」という言葉には、「舶来の品」という形容詞で高級品や贅沢品が流通し始めた頃にその原型があると言えるだろう。
ちなみに日本を代表する万年筆メーカー、セーラー万年筆の由来は海軍だということをご存知だろうか。創業者の阪田久五郎は、海軍の技師からイギリス留学のお土産として当時最先端の万年筆を贈られたのがきっかけで、舶来への憧れの心が刺激され、なんと製造技術がゼロの状態から研究を重ね、ついには万年筆メーカーを創業したのである。恐るべし、舶来パワーである。
2012年7月12日の内田樹氏のブログから引用すると、60年代当時における高級ブランドの様子をかいま見ることができる。
“伊丹十三は、『ヨーロッパ退屈日記』を20代の後半で書いて、鮮烈な、劇的なデビューを飾った人です。登場のときにすでに完成した文体を持っていた。かつ、そこで扱われたトピックは、“アル・デンテ”とか“エルメス”とか“ヴィトン”とか“ロータス・エラン”とか“ジャギュア”とかというような話でした。それらの単語を僕たちはどれも伊丹十三の本ではじめて知ったのです。このトピックの選択は、1960年代のリアルタイムの日本人の消費生活水準から考えると、信じられないようなハイレベルの、ハイクオリティーの商品についてのものでした。“
『ヨーロッパ退屈日記』が出版されたのは、1965年のことである。その当時は海外渡航という特別な経験をした人々のみがアクセスできるものであり、一般的な人の日常風景とは無縁のものだった。
今日的な意味で、「誰でも手に取れる」ようになったのは、高度成長を経て超円高を記録し、バブル経済に突入した頃ではないだろうか。ちなみに、ルイ・ヴィトンを日本の百貨店がルイ・ヴィトンを取り扱い始めたのは1978年。直営店が登場したのは1981年のことである。東京に3店、大阪に3店の6店舗がオープンした。
実に明治維新から110年後のことであった。それがなんと、ここからたった30年の間に、ブランド品の希少性は恐ろしい勢いで失われたのである。
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