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- 2014/10/28 掲載
“自分たちの手で”ものづくりを行えば「つくる力」は格段に向上する
連載:トヨタに学ぶビジネス「改善」の極意
1937年宮城県生まれ。トヨタ自動車工業に入社後、生産、原価、購買、業務の各部門で、大野耐一氏のもと「トヨタ生産方式」の実践、改善、普及に努める。その後、農業機械メーカーや住宅メーカー、建設会社、電機関連などでもトヨタ式の導入と実践にあたった。91年韓国大字自動車特別顧問。92年カルマン株式会社設立。現在同社社長。中国西安交通大学客員教授。
著書に『「トヨタ流」自分を伸ばす仕事術』『トヨタ流「改善力」の鍛え方』(以上、成美文庫)、『なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか』 『トヨタの上司は現場で何を伝えているのか』『トヨタの社員は机で仕事をしない』『なぜトヨタは逆風を乗り越えられるのか』(以上、PHP新書)、『トヨタ式「改善」の進め方』『トヨタ式「スピード問題解決」』 『「価格半減」のモノづくり術』(以上、PHPビジネス新書)、『トヨタ流最強社員の仕事術』(PHP文庫)、『先進企業の「原価力」』(PHPエディターズ・グループ)、『トヨタ式ならこう解決する!』(東洋経済新報社)、『トヨタ流「視える化」成功ノート』(大和出版)、『トヨタ式改善力』(ダイヤモンド社)などがある。
ものづくりにおいて「手を使う」ことはとても大切なこと

1993年、中村氏が「20世紀中には無理」と言われていた青色発光ダイオードの開発に成功した時、何より驚かされたのは中村氏が当時はまだ徳島県の中小企業に過ぎなかった日亜化学工業の一社員に過ぎず、その開発がほとんど1人の力で成し遂げられたことだった。
中村氏の研究のやり方が実に興味深い。大手企業であれば何人かでチームを組んで進めるところを中村氏はたった1人。開発経費も限られているため、中村氏は工場にある不要な部品を集めて電気炉を手づくりし、実験に使う高価な石英管を何度も溶接して再利用したという。ときに「自分の人生は溶接屋で終わるのか」と自問自答したこともあるというが、実際にはこうした「手を動かすこと」があとあと大いに役に立ったという。
大手企業であれば、装置を含めて必要なものを注文すればいい。一見、効率的に思えるが、そこから創造的な結果は生まれないというのが中村氏の説だ。徳島大学時代、中村氏は多田修教授から自分で器具や装置をつくることの大切さをいやというほど教え込まれている。
参考文献を読めば、人はその通りのことしかやらなくなる。しかし、自分で考え、自分で器具や装置をつくれば、自分だけのやり方を生み出し、新しい発想が生まれ、創造的で世界を驚かせるようなものをつくり出すことが可能になる。この教えが小さく、人もお金もない日亜化学に入社したことで大いに生きることになったという。
中村氏によるとものをつくるための道具は何種類もある。一つ目がダメなら二つ目を、二つ目がダメなら三つ目、四つ目と次々と道具をつくる、あるいは改良を重ねていく。その過程では手痛い失敗もあるが、中村氏はこんな教訓を学んだ。
「より正確で、より実践的な装置、自分の研究したいことについての結果を出してくれる装置、それは市販では手に入らない。ならば徹底的に自分でつくり上げていく他に道はないのである」
中村氏は毎朝7時に出社して、ひたすら装置の改良を行い、午前中に装置を改造し、午後からは反応実験を行うという気の遠くなるような日々の繰り返しの中からブレークスルーを得て、青色発光ダイオードの開発に成功している。
それは「実験装置を熟知していなければ生まれないアイデア」であり、自分で装置を改造し続けていたからこそたどり着いたアイデアだった。
もちろん中村氏の成功は「装置の手づくり」だけで得られたものではない。しかし、ものづくりにおいて「手を使う」ことはとても大切なことであり、自らつくり、自ら改良するという過程を通して人間の知恵が磨かれ、創造力が刺激されるのは事実である。
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