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- 2016/05/16 掲載
厳しい家計が奪う「リワイヤリング」の機会、地元入学者増が大学の危機につながる理由 篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(74)
ホームシックや5月病はチャンスのシグナル
確かに、見知らぬ人に囲まれた環境は、これまでに形成してきた「クラスター(拠り所)」がないため、不安と孤独の気持ちが生まれやすい。特に、親元を離れて初めて一人暮らしを経験する若者はそうだろう。
だが、ものは考えようだ。前回解説したように、この環境はイノベーションの要となる「構造的空隙」によって「新しい出会い」のチャンスが広がってもいるのだ。
若い頃の出会いと多彩な友人関係の形成は、その後の長い人生で大切な財産になる。ホームシックを感じたら、これまでにない新しい人脈を形成しやすい状況のシグナルと思って、前向きに行動するといいだろう。
『学校基本調査』の気になるデータ
大学は、見知らぬ環境で生まれ育った若者同士が出会う格好の場といえる。ところが、日本では、少し気がかりな状況が生まれている。全国各地から多彩な人材を呼び込む力が低下し、地元入学者の割合が高まっているのだ。文部科学省が毎年公表している『学校基本調査』によると、在籍していた高校と同一県内の大学に入学した学生の割合(自県内入学比率)は、1992年の34.9%から2015年の42.5%へと上昇の一途をたどっている。
この点は首都圏の有力大学も同様で、早稲田大学や慶応大学など全国に名の知れたトップクラスの大学でも、今では志願者や合格者の約7割が東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県で占められている。いわば「首都圏ローカル化」が進んでいるのだ。
高校までと同じ地域内の大学に進学する割合が高まると、場合によっては、小学校、中学、高校、学習塾などの場で、既に顔見知りの関係が出来上がっていることも多いだろう。
強固すぎるクラスターで同質化と孤立のワナ
もちろん、入学当初から多くの知り合いがいると安心感は増すに違いない。だが、せっかくの新生活が、過去に形成された人間関係や序列意識に強く影響されてしまえば、新鮮な出会いを求める意欲が削がれてしまう。強固すぎるクラスターがもたらす「同質化のワナ」だ。偏差値で測られた学力のみならず、育った環境や就学プロセスまで似通った同質的な学生ばかりが溢れかえるキャンパスであれば、前回みたA氏のような人脈図を彷彿とさせる。
惰性的な古い関係が続けば、心機一転で新たに学びなおしたり、知らない領域で飛躍したりする意欲そのものを摘みとってしまいかねない。いつもの顔触れで同質的な競争に明け暮れることの弊害だ。
しかも、その裏側では、他の地域から入学してきた学生が、同質的な集団の勢いにのまれて気後れし、接点を築けずに孤立感や疎外感を抱くことになりやすい。前回の図解を援用すると、構造的空隙が存在しない分断の状況に陥ってしまうわけだ。
これでは、多様な知の拠点として、大学の存在意義が問われかねない。危機感を強めた首都圏の大学が、全国から多彩な学生を募るべく、奨学金の充実を図ったり、各地の高校を巡回したりして、志願者の掘り起こしを図っているのもうなずける。
【次ページ】厳しい家計事情がリワイヤリングの機会を奪う
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