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- 2013/03/15 掲載
IT化のグローバル化は「繁栄のオアシス」か「デジタルディバイド」か:篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(52)
情報化のグローバル化という大奔流
金融政策や財政政策と並ぶ成長戦略では、規制改革が1丁目1番地といわれているが、その一翼を担うのがITであることは間違いない。General Purpose TechnologyとしてのITは、農業から医療、教育まであらゆる分野で既存の「仕組みの見直し」を求めるからだ(ITと制度改革の関係については連載の第38~42回参照)。
実体経済の再活性化を考える際には、業界再編であれ制度の見直しであれ、狭い国内問題にとらわれ過ぎず、国境を越えた企業行動を視野に入れたグローバルな観点が欠かせない。連載の第42回の図表1~4で示したように、2000年代に入ってからは携帯電話の爆発的な普及により、先進国だけでなく途上国を巻き込んだ「情報化のグローバル化」という大奔流が生まれている。
経済の成長や社会の発展にITが大きく貢献することは、今や先進国のみならず途上国を含めてグローバル社会の共通認識だが、こうした国際論調が形成されたのはつい最近のことで、10年前とは様変わりしている。今回は「情報化のグローバル化」という大奔流の中で、国際論調がどのように変遷してきたかを跡付けよう。
ITで輝く繁栄のオアシス
ITの進歩と急速な普及が経済に及ぼす影響について、現実的なテーマとして1990年代に国際的な関心が高まったのは、IT投資をテコに米国経済が再活性化したことが大きい。当時は、ITを導入しても経済成長が加速しないという1987年にソローが指摘した「生産性パラドックス」とそれが解消して新たな成長過程に入ったとする「ニュー・エコノミー論」の論争が繰り広げられた(第15回~第21回参照)。ここで重要なのは、ニュー・エコノミー論の是非ではなく、1990年代の米国経済がITへの投資増勢を続ける中で、1994年のメキシコ通貨危機、1997年のアジア通貨危機、1998年のロシア通貨危機、日本やEU経済の停滞に揺らぐことなく、1970年代からの長期停滞を脱し、再活性化したと当時の国際社会の中で強く認識されたという事実だ。
それを象徴するのが「繁栄のオアシス(oasis of prosperity)」という表現だ。1998年9月、グリーンスパンFRB議長(当時)は、カリフォルニア大学バークレー校の講演で「ニュー・エコノミーは存在するか?」という質問に「繁栄のオアシス」という表現を用いながら応じた。内容的には不確実な将来への過度な楽観を避けるものであったが、行間から浮かび上がる文脈としては、当時の米国経済が「繁栄のオアシス」であることを示唆するものであったといえる(注1)。
この発言がなされた当時をふり返ると、世界経済が不透明感を増す中にあって、米国経済の先行きには安心感が広がっていた。1999年5月に開催されたOECD閣僚理事会では、欧州や日本は米国の情報技術革命を見習うべきという趣旨の発言が、米国からではなく、ドイツやフランス側から発せられたとさえ報じられている(注2)。当時の米国は、国内のみならず国際社会でも、ITで輝く「繁栄のオアシス」とみられていたのだ。
【次ページ】デジタルディバイドの懸念
注釈
注1 当時の良好な米国経済を示す際に「繁栄のオアシス」という表現が用いられる。Mann(2002), Kliesen(1999)参照。
注2 日本経済新聞(1999)参照。
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