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  • 2019/02/21 掲載

平成の「平和の配当」が終焉、米中摩擦を巡る新冷戦のゆくえ 篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(107)

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前回解説したように、平成日本のIT経済は10年ごとに変化の節目があった。さらにこれをグローバルに俯瞰すると、イノベーションの波は、前半と後半の二波で押し寄せた。その原動力は一貫している。通底するのは、一見すると技術や経済からは遠くみえる国際政治力学だ。今回は、この切り口で平成時代を回顧し新時代を展望しよう。

執筆:九州大学大学院 経済学研究院 教授 篠崎彰彦

執筆:九州大学大学院 経済学研究院 教授 篠崎彰彦

九州大学大学院 経済学研究院 教授
九州大学経済学部卒業。九州大学博士(経済学)
1984年日本開発銀行入行。ニューヨーク駐在員、国際部調査役等を経て、1999年九州大学助教授、2004年教授就任。この間、経済企画庁調査局、ハーバード大学イェンチン研究所にて情報経済や企業投資分析に従事。情報化に関する審議会などの委員も数多く務めている。
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インフォメーション・エコノミー: 情報化する経済社会の全体像
・著者:篠崎 彰彦
・定価:2,600円 (税抜)
・ページ数: 285ページ
・出版社: エヌティティ出版
・ISBN:978-4757123335
・発売日:2014年3月25日

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国際的な政治力学は、経済にどんな影響を与えてきたのだろうか
(©Mike Mareen - Fotolia)

国際社会が大転換した平成元年

 前回は、平成時代のインフォメーション・エコノミーを1990年代、2000年代、2010時代の3期区分で回顧した。これをグローバルな視点で俯瞰(ふかん)すると、前半と後半の2期に区分できそうだ(表1)。

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表1:平成時代のグローバルなイノベーションの二波
(出典:筆者作成)

 平成がスタートした1989年は、国際社会が大きく転換した年だった。旧ソ連を盟主とする社会主義圏の統制型経済が行き詰まる中、6月には中国で天安門事件が起き、11月には欧州で冷戦を象徴する「ベルリンの壁」が崩壊した。

 旧ソ連のゴルバチョフ大統領(当時。以下同じ)と米国のブッシュ(父)大統領がマルタ島で冷戦終結を宣言したのは、その年の12月だ。第二次世界大戦後の国際社会を規定した「冷戦構造」が名実ともに幕を閉じた。

 西側諸国は、統制経済に対する市場経済の勝利にしばし酔いしれた。ところが、当時の米国経済は、実際には大きな困難に直面していた。「双子の赤字」と「国際競争力の低下」に悩まされていたのだ。

冷戦とは経済の総力戦

連載一覧
 双子の赤字とは、財政赤字と経常収支(貿易収支)の2つの赤字だ。旧ソ連への対抗策として「強い米国」を掲げたレーガン政権は、国防支出を大幅に増やし、財政赤字が巨額に膨らんだ。

 財政赤字を埋め合わせるには、国債の増発が欠かせない。それは、海外資金を惹きつけるための「高金利とドル高」政策で支えられた。そのため、民間サイドでは企業の設備投資抑制と輸出競争力の低下が進行し、経常収支の赤字が拡大したわけだ。

 冷戦とは、ある意味、経済の総力戦だ。統制経済で非効率が蔓延した旧ソ連が先に疲弊したものの、冷戦に勝利した米国も無傷ではいられなかったのだ。

 冷戦の終結は、この困難の構図を完全に書き換えた。双子の赤字と国際競争力の低下という米国経済が抱えていた2つの困難を解決する糸口となったからだ。

平和の配当はニュー・エコノミーの影の立役者

 1992年の大統領選で誕生したクリントン政権は、財政再建を最優先の政策に掲げるとともに、経済再生の切り札として「情報スーパー・ハイウェイ構想」を提唱した。

 財政再建を優先する以上、「情報スーパー・ハイウェイ構想」は政府主導ではなく民間主導で行うしかない。冷戦の終結はこれらの政策実現に向けて、絶好の追い風となった。

 まず、国防予算の削減は、財政再建への道筋をつけた。さらに、国防関連の技術開発に充てられていたヒト、モノ、カネなどの経済資源が民間部門、中でもIT分野に大きくシフトするモメンタム(勢い)をも作り出したからだ。

 実際、クリントン政権発足当時は「情報化が進展しても生産性は向上しない」という「ソロー・パラドックス」の渦中にあったが、2期8年間の任期中にパラドックスは解消し「ニュー・エコノミー」が実現した。

 もちろん、これには新技術や新ビジネスなどさまざまな要因が影響しているが、このタイミングでニュー・エコノミーが開花したのは、冷戦終結にともなう経済資源の軍民転換(Defense Conversion)が大きく影響したことは間違いない。

 つまり、「平和の配当」は、ニュー・エコノミーの影の立役者で、インフォメーション・エコノミーの発展には、深いところで国際政治力学が作用していたわけだ。

イノベーションの第一波が届いたのは先進国

 国際社会も米国のニュー・エコノミーに関心を寄せ、「繁栄のオアシス」と称賛した。1999年5月に開催されたOECD閣僚理事会では、欧州や日本は米国を見習うべき、との発言がドイツやフランス側の出席者から発せられ、むしろ米国側の出席者は戸惑ったとさえ報じられている(日本経済新聞[1999])。

 OECDは先進国で構成される国際機構だ。先進国でさえ「米国に追いつけ」という意識だったとすれば、新興国や途上国は取り残されて、さらに格差が拡大すると懸念されたのはいうまでもない。いわゆる「デジタル・ディバイド問題」だ。

 2000年の九州・沖縄サミットで採択された「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章」で、デジタル・ディバイドの解消が国際社会の共通課題であると各国首脳間で確認されたのはその象徴といえる。イノベーションの第一波は先進国に留まっていた。

 ところが、こうした「先進国中心のイノベーション観」は、2000年代半ばに大旋回した。モバイル技術の劇的な普及で、イノベーションの波が新興国や途上国にまで怒涛のように押し寄せ、経済発展の起爆剤になるという認識が一気に広がったのだ 。

【次ページ】途上国を巻き込むイノベーションの第二波

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